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里山をどうする①
姿を消した生き物たち

田端英雄

いま里山の保全を求める声が高まっている。その現状や保全策を、里山研究会代表で県森林文化アカデミーの田端英雄特任教授に寄稿してもらった。


里山という言葉が最近よく使われるようになってきた。響きもいいし、昔のふるさとの景観を彷彿(ほうふつ)させる郷愁もあって、里山という言葉が使われているように思われる。しかし、里山とはどんな自然なのか。

このところ、身近な植物や動物が姿を消したり、数を減らしている。昔はよく見かけたキキョウがめっきり少なくなって、絶滅が心配される植物の仲間入りをしてしまった。オミナエシやワレモコウも減った。センブリなども減っている。秋の七草の一つ、フジバカマはあちこちで絶滅している。岐阜にはまだあるようだが、例えば京都府では絶滅してしまった。リンドウも減ってきた。日本の高等植物約5300種のうち三分の一もが絶滅を心配される植物の仲間入りしている。植物が数を減らすと、植物を食物として利用している動物に影響が出てくる。チョウが目立って数を減らしている。シバ草地やカヤ場が減ったために、そこに生育していたクララが減り、クララを食草とするオオルリシジミ激減してしまった。

山は緑濃い森林でおおわれていて、豊かな自然が身の回りにあると多くの人たちが考えていると思うが、実は身近な自然は意外にも荒れ果てている。かつて薪炭を生産したり、しば刈りをした裏山の林へいってみると、林の中に入るのも難しいくらいにササや低木が茂っている。昔のように歩きやすい林はほとんどなくなってしまった。

ため池にすむ水生昆虫が、夏場に池から田んぼへ移り住んで繁殖活動をして、秋口にまたため池に戻ってくることがわかってきた。ニホンノウサギも林と林に隣接する田んぼの畦やため池の土手を利用してる。水さえあればいいと考えていたニホンノイシガメですら、林を必要としていたり、産卵場所が田んぼのあぜだったり、田植え後の田んぼで子ガメが育つということがわかってきた。数を減らしている植物の多くも、田んぼから明るい林にかけて生活していた里山の住人であった。

身近な生き物たちは、林と田んぼをともに利用しながら生活を成り立たせていることがわかってきた。薪炭林や粗朶山、あるいはマツタケ山として利用してきた林業的自然と、田んぼやため池などからなる農業的自然は、生き物にとってセットになった自然だったのである。このセットになった自然を「里山」と呼ぶことにした。里山の新しい定義である。いま、この里山が荒れているのだ。昔の薪炭林も伐らないので、どこもかしこも似た林になってしまい、すみ場所の多様性が失われて、生き物にとっては住みにくくなってしまった。田んぼやあぜからも、減反や構造改善事業で生き物が姿を消している。

里山とその現状をこのようにとらえてみると、農業や林業が姿を変える中で起きた里山の構造的な変化によって、いろいろな身近な生き物が「すみ場所」を失い姿を消していることがわかってきた。だから、農業や林業を見直すことによってしか、荒れた里山の自然は救えない。

(岐阜新聞 2003年1月5日)