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里山をどうする③
再生のための前提

田端英雄

「里山をどうする」というテーマでこれから具体的な各論にはいる前に、その導入として二回にわたって書いてきたことを整理しておこう。

生き物の生活を調べることによって、林業的自然と農業的自然からなる「里山」という自然が見えてきたということが大切である。これが新しい里山の定義でもある。しかも里山は里山林、里草地、ため池、用水路、田んぼ、田んぼの(あぜ)と言った構造を持っていることがわかってきた。田んぼの畦は「畦塗りをする面」「平坦面」「法面」といったさらに細かい構造を持っている。こういった自然の構造が、生物の生活の場となっている。

ここで、私がスギやヒノキの人工林を里山の自然に含めない理由を書いておこう。身の回りを見渡すと人工林がかならず目に入ってくるが、人工林はスギやヒノキの収穫のために他の生き物の生活を犠牲にして作り上げた特別な生物群集なので、この自然を扱うには里山林とは違った原理を必要とするからである。

第二の大切な点は、里山にすむ多くの生き物が急速に数を減らしたり、絶滅の危機にさらされていたりすることに見られるように、里山の自然が荒廃していることである。しかも、絶滅が心配されている生物の仲間入りをしたメダカやキキョウなどの個々の生物が問題なのではなく、里山にすむ生物の総体、つまり生物群集を構成する生き物の生物学的、あるいは生態学的関係が壊れつつあることが問題なのである。

第三の大切な点は、里山の構造的な変化が起き、そこに住む生き物が困難に直面する里山の荒廃は、農業や林業が変貌する中で起きたということである。薪炭を生産していたときには、里山林は年々()られて、異なった環境条件を持つ異なった林齢の林分がモザイク状に配置された構造を持っていた。伐って利用されることによって、里山林は生き物に多様なすみ場所を提供していた。今、伐られなくなったことによって、どこも同じような林になってしまい、すみ場所の多様性を失い、結果として生物の多様性を失いつつある。

中山間地の農地が減反で耕作放棄されると、里山林に隣接する里草地や畦や用水路も姿を変え、里山の生物は生活しにくくなった。さらに、農業構造改善事業が、平坦地の田んぼの畦を壊し、生物が田んぼと用水路・排水路の間を行き来できなくしてしまった。

「里山をどうするか」は、ここでまとめた里山全体の構造やそこにすむ生き物全体に目配りをした、総合的な「生物のすみ場所」つまり「ビオトープ」の復元だと言ってもいい。今、管理放棄されている里山を、昔のように使う新しい農業・林業を実現できれば、里山の再生はできそうである。

(岐阜新聞 2003年3月2日)