今月から、里山を荒廃から救う具体的な話を進めよう。
岐阜には若い落葉広葉樹林が多い。しかも、あちこちで伐られている。炭も焼かないのになぜだろうと考えていたある日、
粗朶とは7〜10年生の広葉樹を伐って、長さ2.7メートルで周長60センチになるように束ねたものをいう。素性がよくてしなやかで2.7メートル以上あって、2.7メートルのところで径が1センチ以上あれば束ねて
日本の治山・治水の基礎を築いて、荒れ果てたはげ山を緑に変え、荒れ果てて洪水を繰り返した日本の川をよみがえらせたオランダ人技師デ・レイケが用いた技の一つが、粗朶と石を使って流れを緩やかにする水制だった。水制はまた生き物に豊かな住み場所を作り出した。今に残る淀川の「ワンド」がそれである。彼が今の私たちに残した「川と共に生きる」知恵の遺産である。力ずくでねじ伏せるような治水でなく、粗朶を使って自然と折り合っていく、彼の残した知恵は百年たった今も生きている。評判の悪い河口ぜきと違って、何ともしなやかな知恵である。
そのデ・レイケと関係の深い岐阜で、山と川のつながりを、粗朶の技を生かして地域の木で地域の川を治めることで回復できないか。自然素材を使った多自然型河川は評価されるようになるだろう。コンクリートの三面張りで生き物がいなくなった川を作ったのは私たちだから、私たちが川をよみがえらせないと、次の世代に負の遺産を残すことになる。水や生き物を通じた自然の循環を大切にすることが、「循環型社会」を作ることになる。粗朶を使った「循環型の治山・治水」が森林県岐阜でできないはずがない。そうすれば、岐阜の山はそれだけ生き返る。わずかでも雇用も増える。
(岐阜新聞 2003年5月4日)