里山からみる自然エネルギー開発・供給と農山村の活性化(上)

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里山からみる自然エネルギー開発・供給と農山村の活性化(上)

田端英雄

日本の自然をどうするのか

かつて林業は,今の林業よりもずっと幅の広い内容を持った生業であった。スギやヒノキの有名林業地をのぞけば,一般的には薪炭生産,柴の生産,マツタケをはじめとするキノコの採取,山菜の採取などからの収入が人工林からの収入を上回っていた。

一九六〇年代後半から一九七〇年代にかけての経済の高度成長は,農山村にプロパンガスを普及させ一種の燃料革命をもたらした。薪炭の需要が急速に減り,かつての林業収入の主役は急速にその役割を終えることになった。その結果,薪炭林は利用されなくなり,経済の高度成長期以降,林業といえば人工林の林業だけを意味することになった。つまり日本の林業は柱材の生産に特化してしまった。その結果,外材の輸入によって打撃を受け日本の林業は衰退し,未だにその衰退からの出口を見出せないでいる。しかも,経済の高度成長期に木材需要の後押しがあって,かなりの薪炭林が人工林に変えられ,森林面積に占める人工林の比率が高くなった。しかし,間伐材のマーケットが失われたこともあって,間伐すらできない状況に林業は追い込まれていて,その閉塞感は深刻である。

高度成長期に日本の農山村は都市への人口の移動によって後継者を失い,農業と同じように林業も後継者難は深刻である。

日本ほどの森林面積と森林の蓄積を持ちながら,林業界が林業の将来像すら描けない状況は,ほとんど同じ森林面積・森林の蓄積を持つ林業国スウェーデンの林業の現状と比較すると非常に対照的である。

日本の林業の未来像について議論するときに,かつて林業の主役を演じたにもかかわらず高度成長期以来林業から見放されている薪炭林をどうするのかという議論をしなければならない。人工林の比率が大きくなったというものの,それでもなお日本の森林面積の半分はかつての薪炭林であるからである。

いま,日本の自然に大きな異変が起きている。日本には約五千三百種の高等植物があるが,レッドデータブックによれば,なんとその三分の一近くの植物が何らかの意味で絶滅に瀕している。しかも絶滅に瀕しているのが珍しい植物でなく,ごく普通の,身近にたくさんいた植物であることがこの重大さを示している。動物ではメダカがレッドデータブックに掲載されて話題になったが,植物でもキキョウやオミナエシのような植物でさえ近年どんどん数が減ってきている。私たちはこの薪炭林と薪炭林に隣接する農業環境をあわせて里山といっているが,こういった植物の多くが身近な里山の植物である。なぜそういった事態を招いたのか。一言でいえば,里山林を切らなくなった林業の変貌と農地の構造改善事業や減反による農業の変貌が原因である。林業や農業が日本の自然を保全する上で大きな役割を果たしていたことに改めて注目して,里山を利用した新しい林業・農業を提案するとともに,日本の自然の保全を担うという誇りを林業・農業に取り戻す道を議論するのが本稿の目的である。

里山とはどんな自然なのか

里山とはどんな自然なのか。奥山に対して人里近くの山を里山であるとか,都市近郊林を里山というとか,いわれているが,どれも私たちが里山を考えるときに適切な定義とはいいにくい。里山に住む生き物の生活の解析を通して,里山とはどんな自然であるかを考えるのでないと,生物学的な根拠を持たない里山の議論になってしまう。

里山に住む生き物はどんな生活をしているのか。ニホンノウサギを考えてみよう。彼らは里山林に住んでいるが,餌場は里山林に隣接する田んぼの畦やため池の土手や畑や果樹園である。つまり,ニホンノウサギは林がいくらよくても餌場がなくては生活しにくい。現実には,林床が茂っている今の里山林は住みにくい場所になっている。

ため池や谷川の生き物と思われがちであるニホンイシガメは,実は里山の代表的な生き物である。ため池で生活していて越冬は用水路でする個体もいれば,越冬が終わるとすぐに里山林で生活し越冬はため池でする個体がいたり,その生態はまだ謎に包まれているが,いずれも産卵は田んぼの畦でする。孵化直後の子亀は餌が豊富な田んぼで大きくなる。親亀の中にも田植え直後の田んぼを歩き回る個体がいる。ニホンイシガメにとって里山林とそれに隣接する農業環境が必要である。

水生昆虫の研究者がもたらした観察データは,具体的な里山のイメージを描くのに大変役立った。絶滅が心配される水生昆虫であるゲンゴロウ,クロゲンゴロウ,ミズカマキリ,タイコウチなどが春先から初夏にかけてため池から姿を消す。これらの水生昆虫はどこへ行っているのかを知るためにマークをして追跡すると,田んぼへ行っていることがわかった。田んぼでこれらの水生昆虫は繁殖活動をしていることがわかった。水生昆虫がため池から繁殖のために出かける田んぼは,里山林の縁にあるため池から距離にして約一〜一・五キロまでの田んぼであることもわかった。いま私たちが持っている動物たちの生活に関するデータからいえることは,里山林とそれに隣接する少なくとも里山林の縁から一〜一・五キロ以内の農業環境を含む自然が里山である。これが里山の科学的な定義である。

里山で今何が起きているか

先に述べた水生昆虫が繁殖のために必要とする田んぼは,実は減反政策のために失われていたり様変わりしている。これらの水生昆虫がなぜ絶滅に瀕しているのかがわかってきた。繁殖のための場が失われていたのである。ため池はあっても繁殖のための場が奪われては絶滅への道を歩まざるを得ない。

かつて里山には採草地が必ずあって,そこに生育する草地性の植物を食草とするチョウチョウがいた。クララという植物を食べるオオルリシジミやスミレを食草とするオオウラギンヒョウモンもそういった蝶である。草地がなくなるとともにこういった草地に生育する植物に依存するチョウチョウは絶滅が心配される蝶の仲間入りをした。

植物でも同じで実は中山間地の農地の畦から里山林の縁にかけて生育する植物が数を減らしている。田んぼの畦は幅が狭いが,畦は畦につながって膨大な面積を持った草地である。ここに朝鮮半島や中国東北部と共通である満鮮要素といわれる植物が生育している。

ところが今ではこれらが生育する田んぼの畦は,いわゆる中山間地の耕地の畦にしか残っていない。その中山間地の農地が減反で様変わりしてしまって,そこに生育する植物の絶滅が心配されている。

伐採されなくなって,ある意味では今ほど日本の山が緑濃かった時代は過去になかったともいえるのだが,実は日本の自然は大変荒廃している。なぜなのか。林についていえば,薪炭の生産のために繰り返し伐採されてきたので,今年伐ったところ,十年前に伐ったところ,十五年前に伐ったところといった異なった環境が,モザイク状に配置されていた。それが三十年以上にわたって伐採されることもなく放置されてきたので,どこも似た状態の林になって,環境の多様性を失うことになった。そのことはとりもなおさず生物の住み場所の多様性が失われたことを意味し,結果的に生物の多様性を失うことになったと理解することができる。かつて里山が生活の中で使われていたときには,山菜取り,キノコ狩り,柴刈りのように入り会い的な利用をされ,過利用とか収奪的な利用のために自然が荒廃していた。禿げ山が広がっていた時代の里山林の荒廃はいわゆる「コモンズの悲劇」であったが,いま日本の里山林が当面している荒廃は,まさに「コモンズの悲劇」とは逆の事態がもたらしている。伐らないために日本の自然は荒廃しているのだから,いかにして日本の自然を救うかは,いかにして利用することによって日本の自然を保全するかを考えることである。これがいま私たちに課せられた課題である。しかも,里山林と隣接する農業環境をセットにして考えなくては道は開けないというのが,里山研究から明らかになった。

どうすればいいのか

かつて薪炭の生産のために林が使われていた頃と同じように木を伐採することができれば,里山林を取り戻すことができ,林業を活性化することにも貢献できるだろう。そして林は環境の多様性を取り戻し,生物の多様性を取り戻すことになり,林業は誇りを持てるようになるだろう。そのために,小型分散型熱電併給システムによるバイオマス(木)の利用や燃料でない炭の生産や薪利用に一つの変形であるオガライトとかペレットの利用を一九九七年から提案し続けている。農業に関しては,バイオディーゼル生産のためのナタネ栽培である。

(つづく)

初出: 週刊農林 2001年1月5日号