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里山保全の自治体政策

田端英雄

近年、里山はいろんな観点から論じられていて、今では里山は、いわばはやりの話題になっている。里山の保全に取り組む実に数多くの市民グループが各地で活動している。里山保全は林業白書にも取り上げられていて、里山に取り組む市民グループに各種の助成金が行き渡るようになってきた。しかし里山の定義もさまざまで、里山を保全するとはどういうことかが明確ではないので、「里山保全」の名の下に実にさまざまな活動が行われているのが実情である。

このような状況なので、里山があちこちで論じられるようになってからずいぶん時間がたつが、今も里山の保全をどう進めるかはきわめて新しい課題で、自治体がそれをどう取り組むかについて一般論として議論できる段階にはないと考えている。

私が里山に取り組みだして約10年たった。この間、里山の定義を提出して、里山をどうするかについて調査研究を重ねてきて、ようやく里山保全をどう進めるかについて見通しがつきはじめたところである。本稿では、この間私が進めてきた里山研究に基づいて、まず里山の定義と現状を押さえたうえで、里山をいかに保全していくべきか、そして自治体は里山保全にどう取り組むべきかについて論じたい。

1. 里山の定義—里山とはどんな自然か

私たちの身近なところにすむ生物が、今急速に数を減らしたり、絶滅に追いやられていることがわかってきた。最近、生物群ごとや地域ごとに発行されているレッドデータブックは、こういった絶滅危惧種や絶滅危急種などのリストである。ごくごく普通種であったメダカやキキョウが絶滅が心配される生物の仲間入りをしてしまったことは、まだ記憶に新しい。しかし、なぜこれほど多くの身近な生物が絶滅に追いやられているのか。それらの生物にとって、日本の今の自然は、それほどすみにくくなっているのか。

私たちが、それまで生物学の研究対象としてまったく無視されていたごくありふれたコナラ林やアカマツ林やため池の調査を始めたのが、10年ほど前である。そこには、意外にも多くの絶滅が心配されている植物や動物が見つかった。

ため池の谷頭部に絶滅が心配されるヌマカゼクサやイヌセンブリが見つかった。イヌセンブリは、河川敷の増水すれば冠水したりする湿ったヨシ原のようなところに生育する一年生草本である。このイヌセンブリは水中では発芽しないので、水位が毎年同じパターンで上下するため池の環境を上手く利用して、毎年水位が下がった時に種子から発芽して生育していることがわかった。この池が開発で埋め立てられることを知った私たちは、これらの貴重種を守るために立ち上がった。幸いこのため池は破壊を免れた。しかし、これらの植物を守るためにはため池の水位変動が大切であるという私たちの主張は無視され、いつも満水状態でこのため池は残ることになった。結果として、水中で発芽できないこれらの植物は絶滅させられてしまった。

減反で耕作放棄された中山間地の田んぼでも、多くの植物や動物が姿を消しつつある。ヒメナミキ、ミズギボウシ、ナガボノワレモコウ、ヒメホッスガヤ。スズメノコビエなどが姿を消している。畦や草生(田んぼと林の間にある広い畦のようなところ)が管理放棄され草が刈られなくなると、ニワフジ、リンドウ、キキョウ、ホタルブクロ、ウメバチソウ、ネコハギなどが危ない。ため池が放棄され、隣接した湿地に生育していたサギソウやトキソウなども姿を消した。

その後、日比の、ため池にすむ水生昆虫の研究から、私たちの研究は大きな影響を受けた。ため池にすむ水生昆虫たちは、初夏になるとため池からいなくなる。調査の結果、彼らはため池から少し離れた田んぼへ行って、繁殖活動をしていることがわかってきた。ため池で越冬するこれらの水生昆虫は、近年著しく数を減らしているが、これらの昆虫の保全のためには、周辺の森林の管理を含むため池の管理だけではなく、田んぼの保全が不可欠なのである。つまり、水生昆虫がその生活史を全うするには、林業的自然と農業的自然が必要であることがわかってきた。

この観点から、植物についても調べてみると、多くの植物が田んぼから森林内にかけて生育していることがわかってきた。リンドウやキキョウもそういった生活をしている植物である。

林の中でしばしば出会うニホンイシガメについても調べてみたところ、彼らも田んぼの畦や畑で産卵する。孵化した子ガメは、田植えがすんで水がぬるみプランクトンが発生して栄養豊かな水田で大きくなる。まだよくわからないところも多いが、大きくなったカメのうち少なくとも一部は森林で生活する。そして、晩秋になると越冬する場所に移動する。私たちが発信器をつけて追跡をした個体は、越冬するために数十メートルの尾根を越えて池に移動した。しかも、その移動中にあるため池には見向きもしないで、昨年越冬したため池へと移動した。また、春から秋までため池で生活した個体の中には、晩秋になると越冬する用水路の川底に移動した物がいた。そこでは、多くの個体が折り重なるようにして越冬していた。ニホンイシガメにとっても、ため池や用水路だけでなく、森林や田んぼや田んぼの畦や畑が必要である。

先に述べた、絶滅が心配される生物の仲間入りをしたメダカも、実は田んぼで子育てをする生き物であるが、農業構造改善事業がメダカが田んぼと用水路・排水路とを往き来することを不可能にしてしまったために、絶滅が心配されるようになってしまった。ナマズやフナやドジョウも田んぼで子育てをする魚である。ナマズですら田んぼと排水路との間の落差は遡上できなくなってしまった。今では、農業構造改善事業による環境破壊を免れた田んぼ以外では、こういった魚の田んぼへの遡上は見られなくなってしまった、メダカなどは絶滅してしまったわけではないので、メダカが遡上できる構造をつくってやれば、もどってくるはずである。

このように、生物の生活の解析を通して、森林と田んぼが切り離すことのできない自然の構造であることがわかったので、私はこの自然の構造を里山とよぶのがいいのではないかと思うようになった。そこで、長年にわたって薪炭林として利用されてきた林業的自然と田んぼ・畑・畦・ため池・用水路・草生などからなる農業的自然がセットになった自然を里山という、新しい里山の定義を提案した。薪炭林に代表される、里山を構成する林業的自然を、里山林とよぶことにした。コナラ林、アカマツ林、本州北部ではミズナラ林であったり、九州南部や沖縄では常緑広葉樹林であったりするが、どれも繰り返し繰り返し伐って再生を重ねてきた森林である。マツタケ山も里山林に含まれる。

このように里山を定義すると、里山とは人間がその営みの中でつくり上げてきた自然であり、すぐれて文化的・歴史的な景観である。里山林(林業的自然)と田んぼ・畦・ため池・用水路・草生などからなる農業的自然は、里山景観を構成する重要な景観要素である。

2. 里山の現状

司馬遼太郎が四国の檮原町神在居の千枚田(棚田)を見て、万里の長城にも劣らぬ農民の文化遺産であると述べているが、里山林と田んぼ・ため池・草生などがセットになった中山間地の景観は、長年にわたる人と自然の関わりの中で形成された、いわば総決算のようなものであろう。昔はさらに茅場もあって、いささかのほころびもない美しい景観であった。

しかし1960年代から1970年代にかけて、炭や薪が市場を失ってから、里山林は管理放棄され、今では厳密な意味での里山林はほとんどないといっていい。それ以前は薪炭生産のために、一定の周期で毎年小面積ずつ伐採されて異なった林齢の林がモザイク状に配置された里山林の構造を作り出していたが、伐採されることなく管理放棄されて30年以上たつと、どこも緑豊かな森林によって覆われているように見える。しかし、どこもよく似た生態的条件の森林で生物のすみ場所としての多様性が失われ、結果として里山林の生物多様性が失われてしまった。緑濃い森林は、実は荒廃していることがわかってきた。

今、里山で当面している最も深刻な問題は、この生物の多様性の喪失である。日本の高等植物の約30%が、何らかの形で絶滅が心配されている。ほぼ3種に1種が絶滅に瀕しているというのは、恐ろしい数である。植物が絶滅すると、その植物に依存している動物の生活が影響を受ける。その結果、動物に依存している植物の生殖や分散が影響を受けるというように、このまま生物の多様性を失い続けると、どのような事態になるかについて正確に予測することはできないが、さらなる絶滅のドラマが時間をかけて展開することになるだろう。農業に障害が出ることも予想される。

2001年から調査を続けている岐阜県西部の上石津町(後述)では、ササユリが姿を消し、キキョウも姿を消し、センブリやリンドウも数を減らし、ウメバチソウやカキランも激減した。ギフチョウやオオムラサキも姿を消した。里山問題は、日本の自然の保全問題そのものであるといっても過言ではない。しかし、絶滅に瀕している個々の生物種を保全するのでは対処できない。里山の生物多様性を保全する仕組みを考えることができなければ、今当面している問題に対処できない。

生物群集における植物と動物との生態的関係について、わかりやすい例を取り上げよう。

かつて茅場には、オオルリシジミの幼虫と食草のクララ(マメ科)という植物が生育していた。茅場がなくなりこの植物がなくなると、オオルリシジミが姿を消した。また火入れをして維持されていたシバ草地がなくなると、シバ草地に生育するスミレを食草とするオオウラギンヒョウモンというチョウが姿を消した。かつては本州・四国・九州に広く分布していた。これらのチョウは、いずれも絶滅が心配される生物の仲間入りをしてしまった。ところが、草地が維持されている自衛隊の演習場に、両種とも生育が確認されているという。

中山間地の農地は耕作放棄されて、スギの植林になっていたり、ハンノキ林になっていたり、ヨシ原になっているところも多い。茅葺き屋根が減り、茅場もなくなった。田んぼが耕作放棄され畦や草生や用水路も管理放棄されて、里山の植物が姿を消しつつある。

3. 里山再生のための提言

林業が住材の生産に特化する中で、薪炭を生産してきた里山林は無視され、管理放棄されてきた。その結果、さまざまな生態的条件を備えた林分がモザイク状に配置する里山林の構造が失われてしまった。しかし、かつて薪炭生産をしていたときのように毎年伐採をすることができれば、里山林のモザイク構造は回復し、里山林は復活する。そして結果として、生物の多様性の回復も期待できる。アカマツ林以外の里山林は、萌芽によって更新する。伐採して放置するだけでなんら林業的投資をすることなく元の林が再生する。伐採して利用できれば、里山林は文字通り再生利用可能な資源である。薪炭林の管理技術として確立した技術体系もあり、世界に誇れる持続可能な森林経営が可能になる。

伐採利用することなく里山林の保全はあり得ないので、多くの市民グループが行っている下刈りなどによっては、里山林は保全できない。

林業白書にも、里山林は議論されるようになったが、里山林の定義もなく、どのようにして生物の多様性が失われているかについての分析もなしに、「生物の多様性の保全や身近な森林とのふれあいを重視する森と人との共生林」などと書かれたり、「ボランティア活動による里山林の整備」などと書かれるようでは、都市近郊林はともかくとして里山林に関しては、有効な林業政策は提示できないだろう。

問題は、どのようにして里山林を伐採し続けることができるかである。里山林は、元々エネルギー資源として使われてきたので、再びエネルギー資源として薪炭生産していたころのように伐り続けて使うことができないかと考えた。それが、1997年に私たちの著書『里山の自然』の中で提案した里山林のバイオマス利用である。

最初の提案は、バイオマスによる熱電併給システム、いわゆるコジェネであった。スウェーデンやフィンランドのバイオマス利用の先進地の事例の調査も行った。日本の地形や森林の所有形態の違い、林業の違いなどを考慮して、発電能力2000キロワット程度の、小型分散型のシステムを考えた。その具体化に向けて取り組みはじめると、多くの難題が次々に出てきた。

何よりも、「誰が伐るのか」は最大の課題である。また地域暖房のインフラ・ストラクチュアが整備されていた北欧と違って、日本でも「熱利用は可能なのか」も大問題である。電力市場の自由化が進まない中で、どのようにしてエコマークつきの電力を売るのか、難題ばかりである。その中で最も基本的な問題は、里山林の基礎的な調査研究がないので、里山林のバイオマス量すらわからなかったことである。

しかし、裏山に手つかずの未利用のエネルギー資源が眠っていて、その資源を使うことで日常生活の中で使う化石燃料を減らすことが、とりもなおさず地球環境の保全のつながるのだという方向は間違っていないと考えて、「日常生活を通して、肩肘張らずに持続可能な社会を展望しよう」「少し高くつくかもしれないけれど、健康な住環境で暮らし、裏山の資源を使うことによって豊かな里山の自然を次世代に残そうではないか」「資源を使い捨てにして、ゴミを出し続けて、走り続けてきた私たち世代が次世代のためにできることに着手しよう」と主張し続けてきた。

4. 岐阜県上石津町との出会い

岐阜県上石津町においては、1998年の国土庁の「21世紀の国土のグランドデザイン=全国総合開発計画」に基づく「上石津町多自然居住生活環境調査」「上石津町多自然居住の町づくり提案」「上石津町多自然居住生活環境報告書」で「新しい里山景観づくり」や「自然エネルギー利用」や「分散型エネルギーシステム」などが論じられ、さらに2001年には「上石津町新エネルギービジョン」の中でバイオマス利用の熱電併給システムの設置提案がすでに行われていた。

2001年に上石津町から、私のところに「上石津町木質バイオマス導入基礎調査」の依頼がきた。私の主張を知った上での依頼だったので、町単独事業で予算は十分ではなかったが、懸命に取り組んだ。上石津町は里山林が多いので、バイオマス利用から見た里山林の分類、里山林の生物学的特性、里山林のバイオマス量、生長量などの調査を調査を行った上で、小規模分散型のバイオマス利用システムの比較検討、導入を前提にした熱電併給システムの検討、灯油ボイラーのペレットボイラーへの転換や家庭用暖房の灯油ストーブからペレットストーブへの転換等のシミュレイションなどを行った。さらには、小規模ペレット生産ブラントの建設提案「かみいしづ里山大学」の開催の意義を論じ、その継続的な開催の提案を行った。

この調査の中で、熱電併給システムにはさまざまな問題があり、当面里山林のバイオマス利用としては、ペレットが望ましいという結論を得た。このため、ペレットの生産から流通、ペレットストーブの販売や維持管理、灰の回収までを含む地域自立型のエネルギー・コミュニティーの確立や、将来の二酸化炭素の排出権取引をも視野に入れた議論を行った。報告書では、生産能力一時間当たり100キログラムのペレット生産プラントの建設提案を行ったが、里山林の所有形態・原料のプラントまでの運搬や地形を考えると、これでも大きいことに気がついた。現在考えているプラントは、次節で述べたい。

私の基本的なスタンスは、補助金を使わないことで、設備の減価償却も全額10年で行う企業ベースで提案を行った。灯油1リットル47円、ペレット1キログラム28円で比較すると、家庭用の開放型ストーブの場合、ペレットを使うと燃料費は灯油の1.3倍になる。しかし、ポット型ストーブと比較すると、1.2倍になる。灯油ボイラーをペレットボイラーにすると、やはりペレットの方が1.3倍高くなるが、住環境の改善や里山林の回復などを考慮すると十分理解が得られる範囲であると考えられる。

バイオマス利用は、まず住民の合意形成がなければ成功しないので、従来からの行政手法を変えなければならないことについて、この四年間激しい議論を行ってきたが、依然として行政手法の変革は進まない。何かに取り組むときに、まず町民に対する説明責任をと考える姿勢はいまだ自発的なものとなっておらず、何ごとも、まずは官主導ではじめるという姿勢は治っていない。こと里山に関しては、里山を中心にすえた10カ年計画を2002年に策定した上石津町は、さまざまな取り組みにおいて先進的であるのだが、その上石津町ですら、まず住民と話し合うというようにはいかないらしい。誰がペレットを利用するのか。住民の合意なしには失敗することは目に見えている。「かみいしづ里山大学」は住民と私たちの意見交換の場であり、私たちの考えを町民に伝えるだけでなく、合意形成にも寄与している。里山林の利用を進めるには誰でもが里山のエキスパートになる必要がある。「かみいしづ里山大学」では、手を加えることによって自然が変わることを、草生の草刈りを年2回行うことによって体験している。センブリもリンドウもウンヌケモドキもカキランもみごとに増え続けている。マツタケ山の造成への支援要請の声がかかるようにもなってきた。昨年はホンシメジ山の造成にも取り組んだ。そして、とうとう私たちが目指した小型の国産ペレット製造機が入った。

5. 自治体の里山清作への提言

(1) 統合的な政策立案

里山の定義から明らかなように、里山は林業的自然と農業的自然がセットになった自然であるから、里山政策を進めるにあたっては、行政の側の体制を組み替えて、里山を統合的にとらえ政策立案をできるようにすることが、まず第一に取り組まないといけない課題である。さもないと、里山政策は成功しない。

(2) 達成目標の明確化

里山の現状は、地域性があり、里山林の現状と農業的自然の現状の分析を行って、明確な達成目標を設定することが必要である。林業白書に述べられているような里山林の位置づけでは、達成目標は立てられない。はっきりしているのは、今、里山林といえる自然はほとんどないので、伐採をして多様な環境条件を作り出す以外に里山林の保全はできないということを前提に、政策立案を行うことである。ほかにも里山景観を構成する田んぼや畦や用水路やため池や草生などに定期的な草刈りや火入れを行うとか、コンクリートの用水路や排水路に代わるビオトープの復元とか、できることはいくらでも見つかるはずである。ポイントは、豊かな生物がすめる自然をいかに回復させるかである。今ならまだ、自然はすぐに応えてくれるはずである。里山林は、人工林に匹敵する面積があるので、林業白書のように、ボランティア活動で整備するなどできないだろうし、「人と共生する林」で生物の多様性の回復などできないことを明確にして、政策立案する必要がある。

(3) 水車小屋型ペレット生産プラント

里山林のバイオマス利用に関して、今、最も敏感に対応してくれるのは、里山林を持っている財産区の人たちであることがわかってきた。今伐ればいい山になるのだが、と思っている人たちがそこにはいる。経済価値を失ってしまってその処理をあきらめかけているが、バイオマス利用のために財産区の里山を伐れば20年後にはすばらしい山になることを知っている人たちといっしょに、今、議論を進めているのは、「水車小屋型ペレット生産プラント」である。かつて、各集落に水車小屋があり、自ら管理運営をし、タイムシェアリングして多目的に水車を使っていた。この水車のように、各集落にペレタイザーを1台設置し、財産区の里山林を必要なだけ伐りながら各家庭で必要な分のペレットを自分で作るシステムの提案である。今、私たちが実証試験に取りかかっているペレット生産プラントは、誰でもがペレットをつくれるものを目指している。試験成績は上々である。共同で伐採して、小型のラジキャリーで集材すればいいだろう。

このシステムのいいところは、住民が納得して住民が主体的に取り組めるところである。行政は側面から援助の手をさしのべることになるだろう。このようにすれば、ペレットの運送費も限りなくゼロに近づけることができる。私たちが行った上石津町の一般家庭における灯油の使用量調査では、一般家庭の居間で使っている灯油ストーブの使用期間は11月から3月までの5ヶ月で、灯油使用量をペレット換算すると約1.1トンである。今、実証試験を行っているペレタイザーの生産能力は1時間当たり10キログラムだが、目標にしているのは一時間当たり50キログラムなので、5ヶ月で1.1トン生産するには、月に4.4時間ペレタイザーとつきあえばいいことになる。

最近、大型のペレットプラントがいくつか稼働したが、50%から75%の補助を受けて建設されたのに、ペレットの価格が高すぎる。1キログラム40円前後であるから、灯油と比較するとペレットは2倍近い価格になってしまう。今年は灯油価格が高騰するだろうが、運送費を入れると、これらのペレットはやっぱり高いという印象を免れない。これではペレットのマーケットを大きくするのはかなり困難であろう。ペレットストーブが依然高値であることも問題である。

私たちのペレタイザーは、まだ実証試験に取りかかったばかりであるが、今まで外国製の大型のペレタイザーによる大量生産ばかりが考えられてきたのに対し、「水車小屋型ペレット生産プラント」はいわばニッチを狙ったペレット生産である。

(4) 住民の理解

四年半、上石津町から支援を受けて里山の調査研究を行ってきたが、今、里山を伐って里山林の更新過程を学習するための「里山学習林」の造成をはじめて3年目に入った。伐採に伴って植物や動物にどんな変化があらわれるか、調査を進めていて、調査結果を逐次展示していこうと考えている。夜の里山林の様相などは、相当な想像力なしには理解できないくらい生き生きとしている。いかに私たちは野生に近いところにすんでいるのかを知ることができる。小学生や中学生向けの里山教育プログラムの政策も進んでいる。

住民がバイオマス利用をどう理解し、バイオマス利用をどう進めるかに、里山林の回復、ひいては生物多様性の復元の成否がかかっている。上石津町で取り組んでいる「かみいしづ里山大学」は、この意味で大いに意味がある。行政が、里山大学の内容を知らせるために、里山通信を発行して全戸に配布している取り組みは、これからの行政のあり方に示唆を与えていると思う。

(5) 田んぼの保全

田んぼについては余り議論できなかったが、田んぼについても、耕作放棄はさけたい。せめて水を張っておくだけでも、生き物がやってくる。バイオディーゼルのためのナタネの栽培とか、ペレット材料の栽培とか、徳用米の栽培も含めて知恵を出し合いたい。


住民が持続可能な社会を目指す高い意識を持ったエキスパートになるように、行政は機会をつくり、住民支援を意識的に行う努力が必要である。箱物行政や企業誘致などは、もう古い行政手法である。地域のエネルギーを地域で消費する地域自立型のエネルギー社会をつくることを目指したいものである。

(月刊自治研 2005年11月号)