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里山利用で自然の保全を

田端英雄

今,日本の自然は,かなり荒廃している.これほど緑豊かな森林がありながら,なぜ日本の自然は荒廃しているのか.不思議にも思える.しかし,日本の自然の荒廃は,かなり重症である.環境庁がまとめた日本の植物のレッドデータブックによれば,約五,三〇〇種ある高等植物のうち,三種に一種が何らかの意味で,絶滅に瀕しているという.かつて普通にみられたフジバカマは,今では京都府で一ヶ所をのぞいて確実な生育場所を知らない.その場所も実は道路工事のために破壊されて,自然の生育場所はなくなってしまった.フジバカマは移植されて,再びもとの場所に戻される日を待っているが,たまたま移植されたから絶滅はしなかったが,ある意味で,これは絶滅したと考えてもいい.今,キキョウを探そうとしても,簡単には見つからなくなってしまった.センブリにしても,しかりである.両種とも子供の頃には,ごく普通の植物であった.センブリなどは毎年軒下に簾のようにつるして干したものである.キキョウなども鎌で刈るようにして,集めてきたものである.しかし,今では見つけるのも容易ではない.どうして,このようなことになってしまったのか.本当のところは,よくわからない.いえることは,以前はごく身近な植物であったものが,きわめて少なくなっていることである.なぜ,こんなことが起きてしまったのか.

最近,里山という言葉がさかんに使われるようになってきた.しかし,里山とはどんな自然か,といえば明確ではない.私たらは,里山が破壊されていくことに,危機感を抱き,里山の自然は,どのような性格を持っているのか,を明らかにしようとして調査をはじめた.その結果,里山を奥山に対比させるとか,里に近い林とかということでは,里山の自然をとらえることができない,ということがわかってきた.つまり,里山にすむ生き物,とくに水生昆虫やニホンイシガメなどの生活をみてみると,その生活が,ため池や渓流の中で完結していないで,里山の林とそれに隣接する田んぼや畑,その畦がなければ,成り立たない,ということがわかってきた.ニホンノウサギなどにとっても,餌場として田んぼや畑の畦が不可欠である.里山の林の中や林の縁にあるため池にすむタイコウチやゲンゴロウやミズカマキリのような水生昆虫も,最近とみに姿を見ることが難しくなっている昆虫である.これらは,夏場にため池を出て,近くの田んぼへ行って,産卵し子育てをしている.秋になると,再び,ため池にこれらの水生昆虫が姿を現す.しかし,ため池から一〜一・五kmの距離にある子育てをする田んぼがなくなっては,次の世代が途絶えることになる.滅反政策で田んぼの耕作が放棄されることによって,こんなことが起きていたのである.そこで私たちは,里山とは,里に近い山とか,奥山に対する里山ではなくて,長年にわたって繰り返し薪炭林として利用されてきた里山の林と,それに隣接した田んぼや畑,その畦,ため池,用水路などを含む自然だ,と考えるべきである,と考えるようになった.考えてみれば,これはあたりまえで,昔から里の林業と農業は互いに関連した生業であったのだ.緑豊かな森林があっても,そこにすむ生き物たちが生活を奪われて,自然が荒廃している姿が,わかり始めた.

里山を,このような自然だと考えると,姿を消しつつある身近な植物は,その多くが里山の植物である,ということができる.中山間地の田んぼが耕作放棄されることで,すみ場所を失った植物が姿を消すことは理解できても,そのほかの里山の植物がなぜ姿を消していくのか.調べてみると,里山を利用していた頃には,いろいろな時期に伐採したところが,モザイク状に配置されていたが,近年里山林を利用しなくなると,どこも,うっそうと林が茂り,自然は豊かに見えるのに,植物の多様な生育環境が失われ,多くの植物が姿を消しつつある状況が,浮かび上がってきた.森林の遷移が進行した結果,植物の構成が変わるのは仕方のないことである,という意見もあろうが,事柄は,そう簡単ではない.実はこういった植物の中に満鮮要素といわれる一群の植物がある.キキョウやリンドウなども,この仲間である.これらは最終氷期の頃には,氾濫原などに広がる草地や湿地などに生育していたと思われる.しかし,そういったところを人間が耕作地とし,河川が管理されるようになると,そこに生育していた植物たらの中で,里山林や田んぼの畦などに生活の場所を移せるものが,いわゆる里山の植物になった.そして今,それらの植物の生活が,里山を利用しなくなったことで,脅かされるようになった.しかも,植物に依存している動物,とくに昆虫には大きな影響が出ている.以前どこにでもいた昆虫で,絶滅危急種に名を連ねるものも出ている.昆虫がいなくなることは,昆虫によって花粉を媒介されるほかの植物が,いつかは姿を消すことを意味する.残念ながら,どんな影響が出るか,詳細に予測することはできないが,事態は深刻である.

どうすればいいのか.農業や林業が,姿を変えることによって引さ起こされた事態であるから,農業や林業を復活させることによって,日本の自然を救う以外に道はないのではないか.私たちは,何とかして,里山林の木を利用する道を探さねばならない.その一つが,バイオマスを利用した小規模分散型のエネルギーシステム(熱を利用するとともに,できれば発電もするシステム)設立である.もう一つは,やはり炭の利用である.新しい炭を考えることである.

(京郡大学生態学研先センター・助教授)

初出: 随想森林 No.40