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林業から未来への提案

田端英雄

里山からの発言を続けよう。林業における収入は,昔は薪炭生産からの収入の方が建築材生産からの収入より大きかった。つまり,林業の主役だった里山林利用をもう一度復活させることによって,日本の自然を保全し,次世代に美しい自然を受け渡す役割を担う誇りある林業を復活させようと私は呼びかけている。林業の現在の窮状を生み出した今の林業行政のリーダーや天下りお役人には一線から引き下がってもらって,新しいリーダーに登場してもらうことが要請されているのだと思う。

不思議なのは,林業をあやめた人たちが自己批判もせずに,依然として林業行政の一線にいることである。林業をこれほどの借金体制に指導して,何の批判も受けないなどというのは理解に苦しむ。各府県にある造林公社とか中には「みどりの公社」などという美しい名称のところもあるが,どこも借金まみれである。住専などは,それなりに膿を出している。悪質な人たちはその罪を問われた。倒産した会社もあれば,今も借金を抱えて苦しんでいるところもある。ところが林業の借金はどこの府県とも莫大で,借金の利子だけで,どこも赤ん坊も含めて一人あたり毎日二〜五円も払っている。ところが誰にでもわかるやさしい言葉で実状の説明を受けていないので納税者は黙っているが,実績をあるがままに明らかにすれば,納税者は黙ってはいまいと思う。真剣にこの借金を早く処理することを考える必要がある。さもないと,新しい林業を始めようもないのだと思う。

最近,機会があって,林業の実態調査をしているが,これまた,きわめてお粗末としかいいようのない林業の状況が浮かび上がってきた。林業を変えるには,どうも現在の林業の実態を明らかにし,早く本当に林業ができる体制に現在の林業の体制を変える必要があると考えるようになった。各町村には林業を専門とする職員がいないので県などの指導で,各町村が作成している「森林整備計画」なるものがある。実際の仕事は森林組合が行うのに,整備計画立案の時には森林組合が関与していることが多いとか,仕事が済んだときにその仕事の完了検査がなにも行われないとか,不思議なことばかりである。それはともかく,この「森林整備計画」に基づいてお金が流れる。ここには間伐五五ヘクタール,複層林林業・長伐期林は一六五ヘクタールなどと具体的な数字があげられている。間伐は五五ヘクタールくらいは必要であるといった指導があって,つじつまを合わすために,そのほとんどを町有林,村有林など公有林で間伐することにし,林野庁の政策に従って複層林・長伐期林業といった項目があげられているが,その実態はほとんどが管理放棄した林を「長伐期林業」と呼んでいるにすぎないものである。私有林で間伐が必要な林は多くあるが,自己負担金を払う山林所有者がほとんどいないので,私有林は五五ヘクタールの中にはわずかしか含まれていない。これは「森林整備計画」とはお世辞にもいえないものである。

今誰が現場の林業をやっているかといえば,森林所有者ではなさそうである。有名林業地でも三六〇ヘクタールもの山林を持っている山林所有者が,もう林業をやめるといっているような現状がある。危険が多い森林労働者の安全を考えながら,自己負担金を払って林業はやれないというのが理由である。個人の山林所有者が林業から手を引く中,どこで誰が林業をやっているかといえば,森林組合である。しかも,その多くが間伐などの埴栽地の撫育ではなくて,一〇〇%補助事業の「保安林整備事業」と「治山事業」である。保安林整備事業を例に取れば,実態は,これまたお粗末である。保安林が私有林である場合,所有者の了解を得ずに保安林整備事業を進めることができない。たいていの所有者が伐期に達したとき,金になる木を植えてほしいというのでヒノキを植える。しかし,広葉樹を植えるように指導されているのでケヤキを,さらに肥料木としてヤマハンノキをあわせて植えるのだという。これなど,今林業で何が行われているかを示すいい例である。ブナ帯の保安林にこれら三種をあわせて植える。どれだけ生残するか疑問である。それだけではない。本当に整備をしなければならない保安林に植えるのではないのだ。わざわざ広葉樹を伐って植えるのだ。保安林の劣化を招くために施業が行われているといってもいい。時には埴栽するところではないところでケヤキなどの高く売れる木が伐られ,別のところに埴栽されたりするようである。こんな無茶なことが何の批判も受けずに行われている背景には,第三者によるチェックが行われていないところに問題があるようである。結果として,森林組合がかろうじて,こうした補助事業で息をついているというのが実態である。こんな状況を野放しにしておいて,林業の再生などできるはずがない。いわば,腐りきったこういった仕組みを洗い直す必要がある。お金の流れを変える必要があろう。さもないと,林業で働きたいという有為な人材を林業に送り出すことができないではないか。

柱材の生産に特殊化してしまった今の林業からいかに脱却するかが,今林業に求められているのだと先に述べたが,そのためには,現在の林業の膿をきれいに出さないといけないのではないのではないかと,私などは暗い気持ちになってしまう。なぜ,ここまで退廃するまで誰も手をつけなかったのか。

林業の再生のためには,林業のことだけ考えるのでなく,林業以外の分野における新しい林産物の利用について,大胆に提案していくことが求められている。林業を活性化するための手段の一つとして,バイオマスを利用した熱電併給システムの提案をしているが,それが唯一の道ではない。やはり炭や木質燃料の生産もたいせつである。しかし,燃料としての炭でなく,水質浄化,吸湿,消臭,土壌改良などに使う炭の生産,林地残材や廃材を使ったペレットの生産も選択肢として考えられる。これらの選択肢をうまく組み合わせて,かつての里山林利用を取り戻したい。とくに,水質浄化は重要である。現在の下水処理は不完全で,現在の下水処理技術に依存する限り河川の水質は悪くなるばかりである。どれほどの人が,現在の水質浄化の技術のレベルを知っているだろうか。二十一世紀は水の時代だといっていいと思う。日本のように水に恵まれた国に住んでいるとなかなか想像できないであろうが,将来水資源は,必ず,大問題になる。例えば,水洗便所のフラッシュのハンドルを回した後いったいどうなっているのかに,もっと注意を払う必要がある。現在の下水処理技術では,下水処理場からの処理水が流入する川で泳ぐことはできない。しかし,これからは処理水が流れる川で泳げるような下水処理をする必要があるのだと思う。炭を使えば,それが可能だ。「泳げる川を取り戻そう」とか「処理した水を飲料水としてリサイクルしよう」と,林業から提案しようではないか。

福岡県糟屋郡久山町の炭を使った下水処理の試みは,注目される。お便所の汚水を炭を使って三次処理すると,処理水は飲めるのだ。ところが,この優れた下水処理は,この流域の流域下水道が完成すると使えなくなってしまうのだ。久山町の優れた下水処理がはるかにレベルの低い流域下水道によって置き換えられるというのだから,日本の下水道政策は理解しにくい。欧米の下水処理に追いつけという合い言葉のもと,下水道の普及率の向上につとめてきたのだが,その技術というのが果たして未来につながる技術なのかどうかが問われなければならない。今こそ,現在の下水処理の技術や流域下水道や集落下水道といった形で全国に展開しようとする今の下水処理政策に,林業から疑問を投げかけるとともに,未来の下水処理の技術として炭を使った下水処理技術を提案しよう。炭を使った優れた下水処理技術を使って,「泳げる川を取り戻そう」というのは,林業からの力強い未来へのメッセージとなるだろう。世界に向かって呼びかけることができる技術でもある。それは林業がよみがえる道にもなるだろう。しかも,現在の下水処理で使われている活性炭と違って,三次処理に使う炭は半永久的に使える。

(里山研究会)

初出: 随想森林 No.43