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私の愛知万博論

里山が導く持続的社会

田端英雄

二十一世紀における人と自然とのかかわりかたは,持続可能な社会をいかに実現するかにかかっている。持続可能性をどうとらえ,どう実現するかはまだよく見えていないが,資源を使い捨てにして,環境を破壊し,突っ走ってきた社会にかわって,自然循環に適合し,資源を循環させ,地球規模での公平性を持った社会を目指すことになるだろう。世界の人口の四分の一をしめる先進国が圧倒的な資源を消費できるのは,世界人口の四分の三を占める発展途上国の人たちが先進国の人びとと同じ生活をしていないからで,そこには地球規模での公平性は見いだせない。

世代間の公平性も課題

自然のリサイクル機能を超えてものが使われる非循環型社会ではゴミが出たり,環境を汚染するので,持続可能な社会を実現するためには,省資源とかリサイクルが必要になる。もののリサイクルに必要な再生可能エネルギーを確保するために耕作地や森林を最大限に保全し,太陽エネルギーを固定する植物を大切にしなければならない。植物の生産をささえる土地や水は最も基本的な基盤である。森林の乱伐などによる自然の荒廃は結局この循環型の地球の構造を壊してしまうことになる。

フロンや二酸化炭素のような分子ゴミ問題も緊急な解決を迫られている。また,循環型社会を考える時,今もっとも深刻なのは水資源問題であろう。水消費の増加と限られた水供給は,社会のエコロジカルな持続可能性を脅かすことになる。

持続可能な社会を考えるとき,世代間の公平性をどう保証するかがだいじである。後に続く世代の可能性を奪わず,続く世代に負の遺産を残さず,資源や環境を次世代に継承できる社会を考えることでもある。生物を絶滅に追いやることなく生物多様性を維持することも,持続可能な社会を築くために不可欠である。

こう見てくると,エコロジカルな視点から個人も企業も国家も新しい行動を始めるときにきていて,冷戦構造から解放された今こそ,地球が置かれている今の状況から目をそらすことなく,発展とか環境について議論する絶好の機会である。それが愛知万博なのだと考えよう。

再生可能な「生物燃料」

愛知万博の準備過程で「里山」が議論されている。里山問題も持続的社会の実現という構図のなかで議論したい。

里山とは,くりかえし利用されてきた里山林とそれに隣接するため池,用水路,田んぼ,田んぼの畦といった農業環境をセットとした自然である。かつての里山林の利用は,まさに持続的な資源利用そのものである。薪や炭を生産するために伐採をして,再生した里山林をまた何年かのちに伐採する。里山を利用することによって多様な環境が作り出され,生物の多様性が保全されてきた。

しかし田んぼは今,耕作放棄や転用によって将来の食糧問題に暗い影を投げかけ,森林も管理放棄されて荒廃が進んでいる。

今,新しい里山の持続的利用が求められている。それは「ゼロ・エミッション構想」とでもいえばいいだろうか。長距離輸送にエネルギーを使うことなく地域資源を利用し,可能な限り地域内で循環利用する新しい経済構造の構築を伴った新しい里山利用の提起である。

バイオマス(生物燃料)・エネルギーとして里山林を見直すことで,林業における廃材・農業残滓をも併せて再生可能なエネルギー利用の道を切り開くことになる。森林を利用することによって水の保全や生物多様性の保全が可能になり,農業生産が保証されることになる。植物油からディーゼル油(バイオディーゼル)を生産するために減反農地でナタネを栽培して農地の生産性を保全したい。炭の利用による水の浄化は水のリサイクルを可能にする。里山を見直すことによって,循環型の社会が見えてくる。

アジアで行う万博だから,しっかりとアジア的視点をもち,「里山文化の総体」を,昔の農村や昔の山村を再現するのではなく,未来につながる新しい農業や林業の姿として展示したい。

実現には市民参加大切

持続可能な社会の実現には,市民参加が大切である。なぜなら,この社会の実現は合意形成を何よりも必要とするからである。会場に足を運ぶ以外に,IT(情報技術)の利用による参加がある。世界に向けて発信するとともに,世界からの市民参加を可能にする回路を用意したい。

食糧問題や環境問題に関してアメリカのレスター・ブラウン氏,社会の調和や統一を保つために絆をどう形づくるかについてアメリカのドラッカー氏,循環型社会を作り出す「ナチュラル・ステップ」を提唱するスウェーデンのカールヘンリック・ロベール氏などに参加を要請してその考えを展示し,そこに国際政治すら動かすほどの力量を持ってきた世界のNGOや個人が自由に参加できるような工夫ができないだろうか。

そして終わったときには,展示した側と参加した側との意見や映像や展示がマルティメディアを駆使したさまざまな言語の「出版物」になって,万博会場で参加できなかった人たちとさらなる交流ができるといった,万博期間だけのものに終わらせない万博にしたいものである。

初出: 朝日新聞名古屋本社版 2001.1.31