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「たもかく」の里山保全

吉津耕一(たもかく)

しゃべるのが商売ではありませんので,わからないところは明日聞いてもらえればと思います。

福島県の只見町というのは,だいたい京都から7時間くらいのところです。新幹線を使っても7時間,東京から4時間くらいのところです。過去に,里山研究会に3回ほど呼ばれて,いつも同じ事しかしゃべれませんので,ああまた同じ話かという事を思われるかもしれませんが,はじめての方もいらっしゃるので,はじめにうちがどういうことをやっているのかを紹介したいと思います。

さっき「たもかく」と「たもかぶ」という話がでましたが,もともとうちは林野庁の林業構造改造事業という補助事業がきっかけで始まった協同組合,只見木材加工共同組合が16年ほど前から仕事を始めまして,これが母体になっています。だいたい1億2千万円くらいの補助金をもらっています。先ほどから行政に対する苦情や批判がでていますが,まったくわたしも同じ事を考えているんですが,お金をただでもらっていいことは何にもありません。もらった人は宝くじに当たったとのと同じで,自分で儲ければ大事に使うのに,賭事で当てたり,宝くじで当たったり,政府が金をくれたりした場合,無駄に使ってしまう。自分が稼いだ金じゃないから,人の金だから。酒でもそうですよね。自分の金ならば気をつけながら呑むけれども,人の金だとどんどん呑んでしまう,ということがよくありますけれども,補助金というのも全く同じです。私は16年やって,もらった補助金以上の税金納めてますけれども,それはもらった協同組合の仕事で納めてるんじゃないんです。ここに来てよく言いますけれども,都会の人,応援してくれている人を騙くらかして,お金を出資してもらったり,トラスト,ビザ,パスポートなどのかたちで都会の人にいろんな形でお金を出してもらい,それによって仕事をする,あるいは農家をリフォームして,地元の人なら壊してしまうような農家を,これは日本人のふるさとだということで,囲炉裏や大黒柱や吹き抜けのあるような民家をリフォームして,それを買ってもらう,そういうお金で払った税金が補助金よりも越えているだけで,もともと補助金なんかもらってなければ借金に苦しむこともなかった。もっとも,こうしてここにいることもなかったかもしれないですけれども。とにかく行政がお金をくれて農業とか林業を保護するという話は,全く希望も可能性もないと思います。実は,農業や林業や,先ほどからの里山がどうのこうのなったという話は全部,補助金があるから,規制があるからダメなのであって,これを農家の人が,自分のお金で自分のやりたいことをやっているのであれば,もっといろんな手法もあったしいろんな可能性もあったし,もっと活力もあったのではないかと思うのです。

やっていることの話というのから脱線してしまいましたけれども,この前,伊井野さんと調印式というのを名張の「赤目の森」というところでやったのですが,そこに田端先生に来ていただいて,なんか民間人同士が提携するよりも,京大の里山研究の先生が一緒の方が何となく箔がつくんじゃないか,という伊井野さんの経営者感覚だったんですが,私はどちらかというとですね,もっと東北の方が狡賢いんですね,私はマスコミに自分から売り込みに行くと安く見られるので,自分からは売り込まないんです。あの食虫花というのがありますけれど,蝿が来たらくってしまうという,できるだけ地味で,山の中で変なことやってるぞ,見に行ってみようかなというふうにしむけて宣伝してもらうという手法を採っていましす。やっぱり関西は違うなと思ったのは,マスコミをいっぱい呼んで,有名な田端先生をお呼びすれば箔がつくんじゃないかという。やっぱりいろんな手法があった方が,雑木林もそうですが東北的な手法だけで守っていこうということではなくて,いろんな木があっていろんなものを出してるという事で,何よりよかったです。そのときちょっと話がでて非常に印象が深かったことがあります。私は最近年をとったもので,夜2時過ぎまで酒を飲んでいると疲れてダメなんですね,それでちょうど話が佳境には入ったところで寝てしまったのですが,実はそのとき,自分でもふと思いつきでしゃべったんですが,いい話だなと思ったのが,デカップリングというのが今盛んに言われています。要するに井上ひさしさんなんかもいってますが,日本の農村は日本の水とか景観とか風景とか景観を支えているものだから,都会の人間から税金をとったり補助金を出したりして,日本の農業とか林業とか景観を守ろうという話です。それに対して私は,そのときはたまたま思いつきで言ったんですけども,そういうことをやってきたから農村がダメになったんだと,他の職業を見て下さいと。ボクサーならば,10万人くらいボクシングやってる人間がいて,そん中からせいぜい10人くらいがテレビに登場するのだが,それでもやりたい奴はいるわけです。漫画家でもそうです。農業の方はどうかといういうと,政府が8割補助金をくれてもやりたくないと。なんでやりたくないというと,そこにその人の「ウォンツ」がないんです,これがやりたいという,職業としてこれがやりたいという「ウォンツ」がないから,本当は農業がものすごくおもしろければ,田舎のあばら屋に住んでも,農業に夢持ってるから飯が食えなくても農業でがんばってみたいという若い人が来ると思うんです。来ないのは農業がおもしろくないからです。何でおもしろくないのかっていうと,政府とか農協とかが作物の管理,作り方,お金の貸し出しまで,全部規制とかマニュアルがあってそこからはみ出た人は,競争上すごく不利になるから,だからダメなんであって,好き勝手にやらせてくれればいいと思うのです。都会から若い人がよく農業やりたい,林業やりたいって来ますけれども,私の田舎でも今まで十何人か都会の人が来て受け入れましたけれども,田舎へ行くとだいたい,住まいが先ずくみ取りです。お風呂なんかもボイラーじゃなくて,石油で,自分で毎日汲んで入れるというような,今田舎の人でもそんな生活していないんですけども,都会の人が新たに入ってきて,どこか家を借りたいというとそういうところしかないんです。一方で,田舎で地元で農家の息子に育つと,3DK位で2万円で町営住宅というところに入れるわけです。そこはボイラーもあるし,蛇口をひねればお湯もでるし,行政の経費ですべて整っているものに2万円くらいの家賃で入れる,それは補助金のおかげです。ですから,農家の息子で家なんか全然不自由ない人が,結婚してしばらく親と一緒に住んでると不自由なものですから町営住宅に住んでいるんです。公営住宅法って,本当は住宅を守るために作った法律なんでしょうけど,実際は住宅に全然困っていない人が入っているわけですね。他所から来て「たもかく」なんかに就職した本当に住宅に困っている人は,入れないんです。独身者ではダメだとか,収入の上限がどうだとか,よそから来た人はどうだとかで,入れないわけですね。だから,非常に,政府とか役場とか農協とかそういうところのいうことを聞く人は,ちゃんと2万円でそういうところに,都会だったら20万円の家賃を払わなければならないところへ入れるけれども,いうことを聞かない人はあばら屋で,くみ取りの虫がわくような家に住まなければならない,というこういう仕組みの中に農村があるから,私は,農業とか林業とか里山がダメになっているのであって,補助金をこれからデカップリングだとかでつぎ込んでもダメじゃないかと,そういう話をしてもりあがっていた途中で眠くなって寝てしまったんですが,今日また懇親会があるそうなので,そこでまた続きがやれればと思っています。

話を戻して何をやっているかという事なんですが,うちの会社はもともとは補助金をもらって,木工をやっていたんです。私はもともと東京で学生をやっていて,学校を中退して田舎へ帰りました。何で田舎に帰ったかということを話します。都会に住んでみたらば,田舎にいるときには都会に行ったらば,すごく自分のやりたいことができるだろう,1200万人もの人がいるから,いろんな人と出会えるだろう,生まれ育った田舎で3人か4人しか同級生が残らない中で田舎に残ったら,その3〜4人の中から結婚相手を選ばなきゃならないとか,農業と林業と役場しかないところで,職業は自分の家の農業をやるか,政治家に頼んで役場にはいるか,農協にはいるか,一生その肥料の配達とかそういうことをして,だんだんこの地域のボスになってくという,決められた人生はいやだと,やっぱりフラッシュダンスじゃないですけれど屋根裏部屋に住んでも,自分の能力でいろんな人と出会って自分の人生を拓けるんじゃないかなと,東京に出ました。田舎に育ってトレンディードラマなんか見て,ワンルームマンションの中で若い人が恋愛なんかしているのを見れば,都会に行けばああいう生活があると思ってしまうんです。私もそう思って都会に行ったんですよ。そしたら,なんか3畳間で,本だらけの上で寝てて,出会いもないし,トレンディーな生活もしてないし,なんかすごく騙されたな,と,毎日毎日アルバイトしながら夜間大学通って。つまりああいう都会に対する幻想というのは,田舎で田圃で四つん這いになっている農家の子ども達を,安く都会に集めて安くこき使うために,幻想を持たせるんだ,実際はよく考えてみたら自分は出版関係の仕事がやりたかったけれども,都会にでていったらあれだけ本屋があって,あれだけ出版社があるんだから本も読めるし,出版に近い仕事もできるんじゃないか,と思っていたけれども,分厚いアルバイトニュースを見てやっているのは本屋の倉庫番じゃないかと,全然出版と近いようでいて遠いじゃないか,印刷会社で印刷の手伝いとか,これのどこが出版業なんだろうと,ということをつらつら思っているうちに,よく考えてみたら自分の田舎に帰った方が通勤時間もないし,自分の家で本も読めるし,自分の家でとれた野菜食ってれば,そんなにあくせく働かなくても済むじゃないかと。

自分は子どもの頃小学校中学校ずっと農業の手伝いさせられて,昔から農業改良普及所とか農協でいわれていたのはなにかというと,都会の消費者が望む時期に望む量の望む価格の望むような品質の製品を作れ,ということでした。それで何を作っていたかというと,キュウリというのは中がくずれて刺があってへたが苦いんですね。頭と尻尾の方では味が全然違う,刺のあるような食べ物だった。キュウリ取りにいくと刺がよく刺さったものですが,今のキュウリというのはソーセージみたいで,刺はないし味も苦くはないし,キュウリもどきみたいなものになっています。でも,あれの方が消費者が喜ぶから,ソーセージみたいなキュウリを作りなさいと言われて,曲がっているものとか刺のあるものとかくびれているものとかは全部捨てるわけです。トマトもそうです。昔は,トマト畑というのは500m遠くくらいから,薬臭い,トマト独特のにおいがして,トマトそのものも病気にならないという,その臭いで虫も付かないというほどの,作物だったんです。それが今のトマトは全然違うんです。昔のトマトはがぶっと噛むとこの辺だらだらだらっとなる,そういう食べ物だったんです。今のトマトは中のどろどろしたのが全然なくて,桃みたいですね。果物みたいです。糖度も当時の何倍にも上がっています。そういうものを都会の消費者が望むから作れと言われて,それに合わない傷の付いてるトマト,へたが真ん中になくて横にずれているやつ,青いところが残っているやつ,熟れすぎたやつ,口が裂けたやつ,そういったものは全部捨てるんです。山に持っていって捨てるんです。畑に捨てると病虫害が出るというので,だからトマト産地の山へ行くと,たくさんのトマトが真っ赤に腐っている。そんな思いをして都会の消費者が望むものを,出荷しようといわれていたんです。いざ私が都会に出て,レストランで働いてみたら,びっくりしたんです。トマトは8分の1とか16分の1とかに切られて,傷のあるところなんかわからないんです。そこだけ捨てれば,残りの16分の15は生かせるんです。キュウリに至ってはスライスして,本当にあんなソーセージみたいなキュウリを作らなくても,田舎でスライスして冷凍車で出荷すれば,捨てたものが全部生きるじゃないか,私が小学校中学校とずっと農家で生まれ育って,農業手伝いながら,農業改良普及事業で農協がいっていたことは本当に大嘘だったのです。消費の現場に行ってみたらば,私たち農家がいわれているようなことは,何にも存在していないとか,むしろ,我々は損するためにいいなりになっている,本当は売れるものを全部捨てて,本当はおいしくないものを出荷する。自分が都会に行って働いてみたら,昔の刺があるようなへたが苦いようなキュウリを水で洗って味噌つけて,川のそばで食いたいなということを痛切に思いました。

私はこれだと思いました。都会に行って都会の人をだまくらかして田舎に連れてきて,昔なつかしい苦いキュウリを食おうじゃないか,キュウリもどきの水っぽい栄養分も何もない虫も付かない農薬付けのキュウリじゃなくて,本物のキュウリ本物のトマトを食おうじゃないかという事で田舎に帰ったんです。ところがそういう農園民宿みたいなものをやっていたら田舎の人から見ると,民宿というのは夜お客さんの相手をしますから,昼間コーヒー飲んでたりするんです。そうすると,周りの人たちがあそこの息子は昼間っからコーヒーなんか飲んでる,畑にも出ないで,と目がきついんですね。戦時中に国防婦人会ににらまれた共産党員みたいな感じで,本当になんか周りの空気に圧力があるんです。ああ帰って来るんじゃなかったな,と思いましたね。やっぱりもう一回都会に出ようかななんて,気もしていたところに,林業構造改善事業で,1億2000万円ももらって木工をはじめてみたら,補助金をもらう時点ではみんな1億2000万円ももらえるらしい,そんなにもらったら莫迦でも儲かるんじゃないかと,人が集まって来るんですが,いざ,工場を作って1億2000万円の工場を動かそうとすると,1億2000万円くらい借金しなければならないんですね。建物とか設備は補助してくれても,そこに買ってくる原料とか燃料とかそれを納めて製品にしてからお金を回収してくる運転資金というものがかかりますから。そういう事を農家の人は知らないんですね。補助金で1億円出るというともらえる1億円のことしか考えてない,それをもらってその設備を作ってそれにいくら燃料費がかかって製品を出荷してから回収までに何カ月くらいの期間があって,それを回転させていくと,いつ頃現金が入ってきて人件費がどうまかなわれていくのか,という頭が全然ないんですよ。田舎の人は先ず,1億2000万円補助金を出すというと,「えっ!1億2000万円!」という感じで,俺も混じろうという話になって,次の段階では,「えっ,金がもらえると思ってたのに,何だ借金しなきゃならないのか,じゃあ,俺はやめた」と。だから実際に補助金をもらって,すばらしい立派な工場ができて,すばらしい設備ができてもそこに労働者も集まらなければ,補助金をもらった共同組合の人たちはみんな責任のなすり合いですね。それぞれの企業から従業員とか役員とか出して運営するはずだったのに,運転し始める時点では,自分がやって責任取らされるのがやなもんだから,誰も集まらない。私はたまたま民宿なんかやってるもんだから,あそこの息子は暇そうだから頼んでこいということで,アルバイトではいってもう16年になりますけれど,中途半端に関わるよりも,じゃあ,全部やろうと思うまで3年くらいかかりました。最初の3年くらいは,黒字にして,何とか黒字になったらやめてしまおう,と思っていたんです。いざそこで,木工の仕事を始めてみて,本当に愕然としたんです。山から200年とか300年とか経っている,日本のあの急斜面の山からですよ,だいたい只見では3年に1回くらい山仕事で人が死にます。日本の急斜面の山から,ブルトーザーで作ったくらいの作業道でトラックに山盛り満載した搬出の仕事をしていると,3年に1人 人が死ぬんです。私の知り合いにもたくさん,親が死んだとか知ってる人が死んだとかいう人がいます。それで持ってきた200年300年の木で何をやってるかというと,実は私の工場で1カ月に2000m3とか3000m3とか潰さないと,工場が採算ベースに合わないんです。だいたい私が黒字にするまでの3年間というのは,毎月板で3000m3くらい潰すということは,丸太でいうとその3倍くらいの量のブナを潰すんです。ですから年間何万m3というブナを潰すんですが,まあ,潰すのもいいんですね,本当にそれが必要なことでそれ以外に方法がないのなら。だけどそれを作って,都会のメーカーに売り込みに行くと,ゴムの木とかそういうもので作った全く同じものが,輸入されていて,見た目にはわからないんです。ゴムの木もブナの木も。たぶん,みなさんのところにゴムの木とブナの木を,塗装して回覧したら,こっちがゴムでこっちがブナだっていえる人は,この中で3分の1 いるかいないかだと思います。生態学研究センターで林業に近い仕事をしている人でもそんなもんです。たぶん都会で,自然に全然関心のない人に,どっちがゴムでどっちがブナだっていっても,わからないと思います。実は私もわからなかったくらいですから。えらく日本のブナに似てるな,ちょっと竹っぽいような導管が開いてるなと,それがゴムだったんですけれども。向こうのゴムというのは,イギリスの植民地時代に,地元の住民の土地とりあげて作ったプランテーションです。平らなところで,危険な伐採搬出労働しないで,もともとは,地元の人が炭に焼いたり燃料にしたり,それで家を建てたりしていた廃材で日本の商社が行って作って輸入したものと,日本のたいへんな急斜面の,後ろに絵がありますが(京大楽友会館ホール),只見の山はあれよりまだちょっと急です。そういう急斜面の山から切り出してきた,200年300年のブナ材を,毎日毎日残業して最低賃金で働いて,都会からファックス一枚で寸法表が送られてきて,それで作って出して,これが本当に地元の林業の構造改善とか地元の産業の発展とか,経済発展に役に立つのか,と私は痛感しました。

本当は自分が都会にいたときに感じたように,ブナの森に都会の人たちに来てもらって,一緒にブナの実を拾うとか,春の新緑の山に行って一緒に山菜を採るとか,そういう事がいいんじゃないか,と。私は東京でサラリーマンやっているときに,一度会社の研修旅行で潮干狩りにつれていってもらった事があります。浜名湖だかどこかに。朝起きてみんなで潮干狩りに行ったらなんだかやたらに捕れるんです,あさりが。500円払って,ちょうどぽっきり500円分くらいあさりを捕ったところで捕れなくなる,不思議だな,自然界にこういうことがあるんだろうか,と。そしたら,そうではなくて,潮干狩りというのは予約して置いて,予約すると,朝その500円分撒くらしいんですね。私は,東京から4時間の山の中に住んでますけれど,私の地域の山に行ったらそういう事には絶対になりませんね。例えば2000円払ってマツタケ山に行ったら,だいたい20万円分くらい採れるか1 本も採れないかです。だいたいそういうものです。私は山へ行く遊びというのはそこにあると思うんです。1 本も採れなくても,中にひとりかふたり20万円分採れる人がいると。そこにおもしろさがある。実際にうちの田舎では,かますでマツタケを取ってきたという年がありました。毎年採れる訳じゃありませんよ。当たり年にとれるんです。うちの方は峰にしかマツがありませんから,殆ど広葉樹の山でマツが生えるのは養分のない険しい山の峰です。なだらかな山にはマツはないんです。なだらかなところがあれば,林野庁がスギを植えるか,そうでなければ雑木林で,マツは峰の岩山にしか生えない。でもたくさんのマツタケが自然に採れる。取る人とか,当たり年はそれこそかますで採ったとか,かごにいっぱい採ったとかね。採れない年には全然採れないんです。1週間通っても10日通っても,1本も採れなかったと,そうすると今年ははずれ年だと。私は山の楽しみとか自然の楽しみはそういうところにあると思うんです。潮干狩りに行っても,誰でも500円分捕れるようなのが楽しいのか,と思うんです。20人行ったらその中で,あの人はやっぱり農家出身で子どもの頃から捕ったことがあるから,いっぱい捕れるとか,サラリーマンの子どもだから目が悪いな,勉強はできてもこういうのはからきしダメだな,とか。そういうのがあるのが本当の遊びじゃないかな,と思うんです。そういう事を都会の人にうまく洗脳して田舎につれてきて,ブナの木を切ってしまうのではなくて,ブナの実を拾ったりブナの森で山菜を採ったりキノコを採ったりして遊んでもらうと,そうすれば切ってしまわずに山はそのまま残りますし何回でも,その資源を使って何回でもお金が回収できるわけです。私はそういう事がやりたいなと,そのとき,ブナを細かく裂くということを私自身も工場に入ってやっていましたけれど,そのときにそう思いました。ところが,どうやったら都会の人を,東京から4時間の山の中にうまく騙してつれてこれるかという方法がわからなかったのです。当時から観光農業とかいろんな事がいわれてましたけれども,なかなかそのきっかけがつかめなかったんです。

この話をずっとやってると,里山シンポジウムではなくなってしまうので,どうすれば連れてこれるかということを考えた結果,一番最初にやったのは,農家のリフォームです。地元の人がもう,古い農家に住んでいると家がゆがんだり,建具の立て付けが悪くなったり,いろんな時代に直してますから,明治大正に直したところもあれば,昭和になってからアルミサッシが入ったり新建材が入ったり,家がフランケンシュタインみたいにつぎはぎだらけになっているんです。そういう家に住んでいると,日本の古い農家はいやだな,と,不潔で暗くて不便で汚くて,と誰でも思うんです。でも,都会に行って飲み屋なんかに行くとみんな囲炉裏がきってあって,ビルの中に古材なんかが使ってあったりして,日本人というのは,古い日本の古い家や煤けた大黒柱とか,囲炉裏とかを懐かしがっているのではないかということで,地元の人が壊してしまう農家を買い取ってそれを,きちんと修理して,昔作られたのと同じ時代のまたそれ以上の,最も水回りなんかは水洗に直さないと今の時代に合いませんからきちんと修理して都会の人たちに提供すると。それがものすごく大反響を呼びまして,それで只見にたくさんの人が来るようになったんです。年間2000人くらいの人が来るようになりまして,朝から晩まで,お客さんを案内するということが,バブルの前3年くらい続きました。1年間に4万キロくらい車に乗った時期がありました。その仕事をしながら,私は思ったんです。田端先生は,あんなペテン師みたいなの見たことないって私のこといいましたけれども,私はいずれは農家のリフォームだけでは,騙せる人の数は限られていると,やっぱりもっとたくさんの人を騙すには,1軒買うと2000万円も3000万円もするような農家ではダメだ,ひとつには日本人の平均貯蓄額である1000万くらいで土地家屋が手にはいるようなセカンドハウスの供給をやっていかなければダメだろう,と思ったんですね。もうひとつは,私自身農村で,子どものころ何が一番楽しかったか,都会にいた頃農村の何が一番なつかしかったか,というとやはり,山に入って遊んだとか川に入って遊んだとかそういう事です。山に入って山菜採った,キノコ採った,木ノ実拾った,川へ行って魚をつかみ取りした,ということが一番楽しかった。それが一番,田舎へ帰ってもなつかしかったし,都会にいるときもなつかしかったんです。たぶん都会にでている農村出身者,それから田舎を持たない都会人というのも,そういうものを求めているんじゃないかなということで,それなら,今どこの田舎行っても山は私が育つ前から,入会林,先ほどからのコモンズという話がありますけれども,昔の農村の山というのは共同のものなんですね。地域社会で共同作業している。これを日本の農林省というのが,当時はしょうがなかったと思うんですが,むしろ今反省しないことがバカなんですが,当時は国民もみんなバカだったから,その共同の山をみんな分けてしまったのです。入会林整備近代化事業というので。西日本のようにスギを植えられる山があるのならわからないこともないんですが,東北の山みたいに雪が降って険しくて,どうせ個人に分配しても,スギなんか植えれっこないという,植えてもものすごいコストがかかるというようなところをなぜ個人に分けるのか,それのどこが近代化なのかということを今反省しないのが,問題だと思うんです。これをやってるとだんだん行政批判の方に脱線していきますので,脱線せずに,話を戻しますと,今都会の人が田舎に遊びに来て,本当に田舎の楽しさを味わえるのか。皆さんの中で,田舎に行って満足したということがありますか。どこへ行ってもダメだなと思うんですが,今ウルグアイラウンドとかで,20億円30億円の金がぼんぼん出されて「美しい農村づくり」とかいって,ブルトーザーで「美しい農村」を作っているんですよ。現場に行くと愕然としますが,私の町でも20億円かけて鉄筋コンクリートの「ゆらり」というホテルを作りました。私は町民の中では一番使ってますけども,とにかく,今ある農村に魅力があるから来るんじゃないんです。今ある農村はダメだから,20億円30億円のお金をかけて汚くて不便で不潔な農村を壊して,美しくて近代的で都会の人が喜ぶような農村を税金で作っているんですよ,今。私は,そういう事で本当に都会の人が満足するのかな,そういうニーズが,本当に都会にあるのかな,と。私には少なくともないんですね。それで,都会の人が田舎へ行くと,入れる山があるかというと,たいてい「この山入るな,地主」とか,書いてあって都会の人は田舎の山に入れないんですね。ほとんど日本全国,特に東北の山で,都会の人が入れるのは観光ワラビ園とかそういうところだけです。観光ワラビ園というはさっきいいました,500円払うと 500円分取れる仕組みですね。だいたい案内のインストラクターがいて,みなさんここで採って下さいと時間決めて採ったものをグラムで測って入場料を取ったり,あるいは採った分をグラムで清算して,帰っていく。そういうふうにお金に見合うだけの,満足が得られるという仕組みで,しかもそれは長崎の出島みたいにゾーン決めてあって,都会の人が入るように駐車場まで整備されていて,楽しめるといえば楽しめるんですが,それだけで本当に農村の魅力とか自然の魅力とかがあるのかな,というと,やっぱり地元の人しか入ったことのないようなところに,地元の人と一緒に入って行くと親指みたいなゼンマイがでていたとか,マツタケが自然にでているところに地元の人に連れていってもらって得られる感動と,そういう人間が税金で作ったところで得られる感動とは,全然違うんではないかと思いまして,お客さんがいっぱい来ているうちに,お客さんにお金を出してもらって山を全部買ってしまおうと思ったんです。ちょっと浅はかな考えで,やっているときは確信を持っていたものですから,今から5-6年前に私と知り合った人は,殆どみんな私に株主になれと,お金を出資しろといわれて,つきあいを絶った人もたくさんいます。私は自分のやっていることに確信があったものですから。今までに530人くらいの人に株主になってもらって,2億8000万円くらいのお金を集めているんです。これは全部山に化けてまして,130町歩くらい,40万坪くらい山なんです。そこに株主は自由にはいって山菜取りしていい,キノコ取りしていい,それからそこの山の一部で本と交換したり,300坪 50万という形で販売しているんですが,そういう形で,都会の人も田舎の人も自由に入れる山を確保したり,あるいは田舎の人が林業やるお金を都会の人に出してもらう仕組みづくりをずっとやってきたんですね。どうも最近は疑問を感じるようになってきたのは,10年ほどやっているんですが,10年ほどやってみたら手元にお金が全然ないんです。山になっているんです。山になってもいいんですけど,よく考えてみたらもう少し順序立ててやればよかったんですね。私は思いこむとおかしくなってしまうところがありまして,誰かが買ってくれといえば,どこでも買っていたんですね。只見町内のあちこち,130町歩といってもまとまっているのは,フザワ地区に20万坪くらいあって,長浜地区に 5 万坪あるくらいで,あとは全部,飛び地です。林道のないところがたくさんあるんです。買ってはみたものの使えないんです。なんかせっかく都会の人に大金だしてもらったのに。やってる最中は只見の民有林を買い占めてしまおう,という発想でやっていたものですから。本気で思っていたんです。いざ,10年やってみて,いろいろお客さんの競合地域も増えてきて,はっと気づいてみると資金効率がものすごく悪いんです。よく考えてみたら,どこか一カ所決めて,多少は 500円払ったら 500円の満足が得られるようなゾーンも作ったり,ワイルドなゾーンも分けて,順序立ててやればよかったと。やっているときは,自分のやっていることに確信を持ちすぎているものですから,ちょっとやり過ぎて,今は,パンフレットの写真のカタクリが一面に咲いているところとか,山菜がたくさんでているところがあって,そのふたつの地区は,春と秋に来れば誰が来てもいいところだというようなところなので,そこを重点的に管理する,と。今まで,年に1 回本当に林道がないような山の中から,株主や会員の人が 1 年に3度も4度も使うところも,年に1 回しか管理していなかったんですけれども,最近は頻繁に使うところは頻繁に管理しようと,お客さんが行かないところは管理しなくてもいいんではないか,そうしてコストをかけないで,コストと効果を見合わせながらやっていかないとダメじゃないか,というようなことを考えるようになりました。それがうまく行くまでは,私の方から株主を勧誘したり,緑のオーナーになってくれというのは少し控えておこうと,こういう話を聞いて,そういう不十分な状況でもいいよという人があれば,それは是非なって欲しいと思いますけれども。そういう事で活動をやっているわけです。これも,里山シンポジウムに毎回でている人は毎回聞いている話であったと思うんですが。

時間も残り少なくなってきましたので,私がこれからやりたいことと,今日の話でたくさんでていたなかで,これは違うんではないかということがあるので,それを話して終わりたいと思うんです。

一つはこれから,私がやっているようなことあるいは全然別のことでもいいんですが,こういう自然を生かしたリゾートとか,自然を生かした事業活動をやっている全国のお山の大将同士で全国組織を作ろう,お互いに提携しよう相互乗り入れをしようということです。岩手県の藤沢町,ここが第1号なんですが,ここは町の第3セクターで,やっぱり国営のパイロット事業で,400町歩くらいの農地を造成してリンゴを植えて,それを全部有機栽培で,同じようでできるだけ無農薬有機栽培で,都会の消費者と直接交流して事業を展開していこうとしています。岩手県藤沢町がすばらしい町だと私が思ったのは,町役場がくみ取りトイレなんです。戦後間もなく作られた,老化が歩くとぎしぎしいうような木造の役場なんです。是非行政の人に,いって欲しいなと思うのは,今までいろんな自治体に行きましたが,どこでもそこの自治体が一番高くて,一番立派なビルディングを建てて,住民がまだクーラーも使ってないのに,役場だけクーラーがあったりですね,町長室のソファーがその町の一番豪華なソファーだったりしているんですね。私は,やはりそういうのはおかしんじゃないか,と思うんですね。私が考えるノーマルというのが,全国3000町村で岩手県藤沢町くらいしかないのが逆に不思議ですけれども。何でそういう仕組みになっているのか私は本当に知らなかったんですが,実は,地方自治体の予算の中には役場の改修資金というのを必ず一定程度積み立てる仕組みになっているそうなんですね。つまり,自動的に積立てられて,ある程度何千万円とか何億円とかいうお金になると,政治家とか行政とかはこのお金を使って自分たちの建物を立派にしようと思う仕組みがもう,制度の中に組み込まれているんですね。ですから,住宅改善積立金というのを積み立てていて,いつのまにか1000万円たまったといったら,住宅を改築でもしようかと思ってしまいますよね。同じ仕組みが今の地方自治の中で,役場の改築積立金というのが,行政組織の中に組み込まれている。だから勢いお金が貯まってくると議会とか行政とかがそれを使って,村で一番デラックスな建物とか眺めのいい建物とかそういうものを,東京都なんかは,知事がお風呂に入りながら眺める設備があるというので批判されましたけれども,そういうようなことが全国300町村で行われているわけです。藤沢町へ行ったら,藤沢町ではそのお金を毎年取り崩して,町民センターとか町民病院とか,町民のための施設に,全部その年に使ってしまうということをやっているんです。そうするとどういうことになるかというと,役場の職員もクーラーが利いているのは町民センターであり町民病院であるから,できるだけ出先に,住民と近いところに行きたいと。役場に残るとぎしぎし音がして,クーラーも利いていなくて夏は暑いと,だからみんな現場に行きたがるということになる。非常にいい効果がでているというのです。半日見ただけで,吹き込まれた話ですから,ほんとかどうかはみなさん現地に行ってみて欲しいと思います。そこと,一番最初に提携しました。

これから全国的に提携したいなと思っているところに,環境庁の民間活動支援室というところが,年度末の予算が余ったから,全国から変なのを集めてシンポジウムをやろうということで,変なのを集めたんです。そのときに私は旅費交通費を支給されないところには行かないことにしていますというと,じゃあしょうがない支給しましょうということで,行ったんですね。そうしたら,そこに三重県の赤目の森から伊井野さんも来ていまして,私は今日3万円もかけてこのシンポジウムに来たけれどこんなくだらない話,もととれへんわ,という話をされまして,おお,同じポリシーの人がいた,と思いました。そのとき伊井野さんが,でも3万円かけてきて一番よかったのは「たもかく」と会えたことだと。そこまでいわれたら提携するしかないかなと。ポリシーよりも野望で提携したというのが,実態なんです。

次は,みなさんNHK なんかでごらんになったこともあるかと思いますが,食用の廃油を回収して,それで車を走らせよう,廃油でディーゼルエンジンをまわそうということを民間でやっている,染谷商店というところが提携第3号になるんです。その人は,今まで業務用の油を回収していた。料理店などで出る油を回収して商売として成り立たせていた。近年,固めるテンプルで捨ててしまうのはもったいないと,家庭の廃油をそこに持ち込んでくれるらしいんです。その人達にお金を出すのは無理だけれども,何か恩返しをしたいと思っていたと。そこで,本と森の交換というのを知って,油と森の交換で,油を持ってきてくれた人にはささやかながら只見の森をあげようじゃないかということで提携しようかと思っています。調印はまだですが,また調印の時には田端先生に来てもらって,箔付けすることになるかと思うんです。

これからやることで,提携を全国に拡げたいということの他に,私の会社で今やっているのは,せっかく130町歩もの森が集まりましたので,今まではそれを間伐した材料というのは,シイタケのホダ木に使ったり,森の中の現場で即席で椅子やベンチを作るイベントに使っていたのですが,去年からそういう自分たちが遊んでいる森の中の木を使って家具を作るというのをはじめました。これはものすごくコストがかかるのですね。太い木を使って家具を作ればそんなに手間がかかりませんから安くできる。ですが細い木であるとかまとまっていない町の中の並木を切り倒したりとか,公園の木を切り倒したからとか,それで家具を作ろうというとコストはものすごくかかります。でも,これからの時代,コストはかかっても,本当は切りたくなかった木,切らざるをえない木,自分達が日常関わっている木で,それをゴミ処理場に持っていって燃やしてしまうというのではなくて,それで何かを作って使うということが,これからの世の中で,また森を見直す中で非常にいいんではないかということで,自分の家の庭の木とか,あるいは「たもかく」の入会地,あるいは緑のオーナーになってくれた人の間伐材とか,間伐材に限らず太い木もそうなんですが,それを使って家具を作る。

最後にひとつだけ,私は最初にいったように農業林業にデカップリングとか,理想的なこれがあるべき姿だというものを当てはめることはものすごく危険だと思います。安定社会だとか,薮になったから手入れするとかいう話はすごく響きがよくて心地いいんだけれども,それにはものすごく危険な要素がある。というのは,戦前の日本の農村というのは貧しいから,山に行って草を刈って,俺んちの草刈るななんて争って山の手入れをしていたんです。今豊かになってそういうことをしなくなったのはごく当たり前のことで,今に比べて,ある時手入れがいいとかそこに生物がいっぱいいるとかで,じゃあその状態を人工的に作り出そうとかいうのはものすごく危険だし,すごく難しいんではないかと考えています。安定というのはすごく一時的なもので,不安定というのが最も自然な状態ではないかと感じています。私は,農業林業というのはそこに関わる人たちの「ウォンツ」の問題だと思うのです。なぜゴルフ場があんなにあるかというと,それはゴルフやりたい人があれだけうまくだまくらかされて,何千万円も投資したり,ゴルフやることが楽しいっていう仕組みを作っているから,あれだけ不自然で安定で,どうしようもないものが作られている。あれ以上の欲望というか,「ウォンツ」を作り出せばもっと,農業林業やりたい人も,自然に山の手入れを進める方法もあると思うんですね。でも理想の方から入っていくと社会主義が資本主義に負けたみたいに,負けるんじゃないかと常々考えています。根拠はありませんけれども。非常に雑ぱくな話になりましたが,これで終わります。


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