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私たちの問題提起

田端英雄

それでは,最初に「私たちの問題提起」ということで,お話をさせていただきます。

今回のワークショップを持つにあたってのバックグラウンドは,「さとやま」の13号の3ページのところに「里山の自然発刊」というので,少し書いてあります。で,私たちが1992年の秋に「里山研究会」というのを発足させまして,その主旨は,里山というのはどういう自然なのか,生物学的に見て,どういう自然なのか,ということについて,研究調査をしたいというのがひとつと,それから,たぶん同時に,私たちは里山をどうしたらよいのかということで,折々に社会的な発言をしていかないといけないだろうと考えまして,研究者だけでなく,市民の方や実務家の方,特に,森林組合の方などにご協力をいただきまして,「里山研究会」というのを始めたわけです。で,始めましたが,まったくの素手で,研究費があるわけでもありませんし,特に基金があるわけでもなかったんですが,幸いいろんな所からの助成を受けて,研究を進めながら研究活動も進めるということを,足掛け5年にわたって,やってまいりました。で,全く素手で始めた研究会活動でしたが,いろんな方にご協力いただいて,現段階での私たちの考え方というのを,「里山の自然」というのにまとめました。もちろん,すべて,私たちが共通の認識で,共通の意識を持っているわけではありませんし,さまざま違った意見もあるわけですが,私たちが現段階で到達した地点を一応示してるということで,今日のワークショップは,「里山の自然」を読んでいただいてるということを前提として,話を進めていきたいと思っているわけです。

私たちは,里山の生物的自然というのを調査してきました。その中であきらかになったことは,里山というのは従来生物学者が考えてきたほど,貧弱な自然ではないということがひとつです。しかし,その生物的自然はかなり危機的な状況にあって,いろんな我々の身近なところにある,動物植物を含めた生き物が絶滅に頻している。しかも,その多くは里山に生活をしている生き物であるというのが分かってきている。ここで,里山とはどういった自然なのかというのをお話する前提として,従来は,里山というと山を意味していて,山をイメージされる方が多かったんですけど,私たちは,それはどうも間違っている。私たちが問題としている里山林というものは,里山林として独立している自然ではなくて,農業環境と密接にリンクした,そういう自然なんだという風に考えています。ですから,里山というのはひとつの景観であって,その景観を構成する要素には里山林もあれば,田んぼもあれば,用水路もあれば,ため池もある。あるいは,ため池の土手なんかも立派な里山を構成する景観要素だと考えている。そういうその農業環境と里山林ということで林業環境というのがリンクした,そういう自然を私たちは里山と呼んでおります。ですから,この「里山の自然」の中では,意識してわざわざ林を意味するところに関しては,里山林と意識して書いてあります。

そういうふうに里山を考えてみたときに,何故,非常に豊かな生物層がかつてあって,そして今,何故,危機的な状況にあるのかというのが,私たちの非常に大きな疑問であります。そこで,調べていく中で,あきらかになってきたことは,里山が里山として利用されていたから,多くの生き物達が生活を維持してこれた。で,今,多くの里山に住む生き物達が危機的な状況にあるというのは,里山が利用されなくなってきたと考えたわけです。したがって,里山林をよみがえらせるためには,かつて里山林が薪炭林として使われていたときのように,里山林を使う必要がある。しかし,現在,林業の方から,そういう提案はないわけです。特に,最近は,リオの環境サミット以来,持続的利用とか持続的発展などいうようなことや,生物の多様性の維持などは,はやり言葉としていたるところで出ていますが,では,どうしたらその自然を持続的に利用していけるのか,その利用方法の提案はありませんし,それから,生物多様性を維持するというのは何だか知りませんが,保護林を作ったり保護地域を作ったりすれば,生物的多様性が維持できるんだ,というような趣の話ばかりでありまして,実は私たちの身のまわりの本当に守らなければならない自然というものは,こんなことでは守れないということを私たちは強調したいのです。

では,どうしたら,里山林をよみがえらすことができるのか,あるいは里山に隣接している田んぼ,あるいはため池をどうしたらよみがえらせることができるのか,というのが,私たちの大きな関心になってまいりました。もちろん,私たちの里山研究会も,研究は,京都の南部にあります,現在,関西学研都市,学術文化研究都市というのが建設されている,京都,大阪,奈良の県境あたりに位置している,京阪奈丘陵という,そういう丘陵地の京都側,京田辺市(旧田辺町)のいつ開発されるかわからない,風前の灯のようなところで,約100ヘクタールの里山林とたんぼ,ため池などを含めた地域でやってまいりました。私たちが田辺でやってまいりましたことを,この「里山の自然」の中にも書いてありますが,遠く朝鮮や中国東北部の自然とのつながりを見出すことになりましたし,あるいは,京田辺市の100ヘクタールでやっていたことが日本の里山林をどうしたらよいかというような,そういう問題につながってまいりました。これは,私たちも大変嬉しいことで,どうしたらその農業環境と林業環境をうまくよみがえらせるかという問題に,私たちは思いをはせるところまで,ようやくやってきたという感じがします。

それで私たちは,今日は農業関係のことはさておいて,里山林の方をどうしたらよみがえらせることができるのか,ということについて,皆さんのご意見を伺って,私たちなりの理解をして,里山林をどうしたら保全することができるのか,という問題について,一歩でも二歩でも前に進みたいというふうに考えている次第です。

私たちが里山研究会を続けてくるなかで,到達したところは,里山林というのは,かつてのように,先ほどお話しましたように,薪炭林として利用されてきた時代と同じように,里山林を利用すれば,いいのではないか。つまり,ある一定の面積を一斉に伐採して,次には隣に移って,また伐採します。そうしますと,15年おきくらいに,伐採をするようなサイクルでいきますと,林は,特にコナラ林のような里山林は,萌芽更新しまして,15年に1回くらい利用できるようにします。そういうふうに里山林を利用できることができますと,生き物達は様々な環境条件が用意されていることになりますから,その様々なパッチ状に広がっている様々な環境条件にあった生き物達が,よみがえってくるのではなかろうか,というのが,簡単に言えば,私たちの結論です。したがって,そういう利用の仕方は,どうしたら可能なのか。

かつては炭焼きがありましたけれど,現在は統計で見れば,炭焼きは統計にのらないくらいの生産量になってしまいました。しかし,この里山を維持してきた,伝統的な林業技術の体系というのは,大切なんじゃなかろうか。これを継承しながら,その上に新しい利用方法を考えたらどうなのか。ですから,私たち里山研究会としては,炭焼き,というのにこだわってまいりました。その結果到達したところが,炭焼きも発電も同じことだということです。今日は残念ながら,ドイツへ出張してしまいましたので,ここへ来れませんでしたが,小池さんが私たちの研究会に来て,最初にいったことは,「発電と炭焼きはいっしょや。」という話がありまして,私はその話を聞いたとき,目から鱗といいますか,大変びっくりして,こいつ,なにをいうんだろう,と思いましたが,聞いてみれば,まさにこれは炭焼きだと。つまり,炭焼きと同じ手法で,その最後のところで発電しようという,そういうことだと。私たちは,実はスウェーデンで木質系の発電が盛んに行われているということを聞いていますし,また,報道もされています。それから,炭素材の問題も知っています。しかし,それを里山管理に結びつけるというのを考えたことがなかったのですが,ここで私たちは新しいアイディアを産むことができました。つまり,炭焼きをもう一度復活させよう。そして,その最後のところは炭じゃなくて,発電でもかまわない。

しかし炭にも魅力がある。そこで出てきたのが「燃えない炭」というものです。まだ「燃えない炭」には利用の問題とかいろいろ問題がありますが,私たちはこういう方向を追及したいと思っているわけです。そこで,私たちが,里山林の管理の新しい手法として提起したいのは,新しい炭焼きと新しい炭焼きに匹敵する発電であります。

こういう考え方で,進みたい。しかし,これには多く問題があります。たとえば,私たちの「里山の自然」の中に,随分いろいろ書いてありますが,生物的自然だけではなしに,現在里山を所有している人達が,自分の持ち山についてどう考えているかという状況について,この本の中に随分触れてあります。例えば,京都府では,竹やぶがどんどん広がっていまして,竹やぶがコナラ林をどんどん置き換えて,コナラ林はどんどん竹やぶに変わりつつある。しかし,その持ち主が,「隣の竹やぶから竹が入ってきて,自分のところのコナラ林を竹やぶにしてしまった。けしからん。」と怒っている人を一人も知りません。つまり,自分の持ち山のコナラがなくなっても文句をいわない。そういう状況が現在はあります。

これは,非常に奇妙な状況にありますけれど,逆にいいますと,これは私たちにとって,反面いい状況でもあると考えます。どういうことかといいますと,私たちがこういう里山の管理の手法を提案するバックグラウンドには,こういう状況があるわけです。つまり,今,里山が放棄されて,管理されていないわけです。個人の持ち主は自分の里山がどうあろうと,土地に執着はあってもその上にはえている木に関しては,ほとんど執着がないのです。これはかつて,炭焼きが盛んであった時代と比べると,変な話です。昔は,炭を焼く人と持ち主は,非常に緊張した関係にありまして,山持ちのところへ炭焼きをやるひとが,なんとかして木を売って欲しいと頼みに行くわけです。そこで,非常に緊張したやり取りがありまして,炭材を買って炭を焼いていたのです。ところが,最近いろんな所で,炭焼きの組合ができています。彼らに聞いてみますと,今は炭材を買うのは簡単だ。お酒の一本も持っていって,「ちょっと切らして」といえば,「どうぞどうぞ」といわれる。それほど持ち主は木に執着を持っていない。つまり,木が役に立たないと思っているわけです。

しかし,この里山林,あるいは里山の環境が私たちとどういう関係にあるかと考えてみたときに,大変大きな機能を持っているということに気がつきます。つまり,私たちは里山の自然は,持ち主の物ではあるけれど,同時に持ち主のものではない。私たちにも関係のある自然だ,という風に考えることによって,もう少し社会的なものとして,里山の自然を考えてみる必要がある。つまり,最近盛んに議論されている「コモンズ」という考え方を導入して,私たちの里山管理の考え方を進めるバックグラウンドとして考えたい。つまり,社会の共通の財産と考えることにより,これをとにかく手を入れない限りいけないのだと。道路に穴が空いたら補修をするのと同じように,里山にいろんな問題が起きたら,それを補修しなくてはいけない。持ち主のためではなく,我々みんなのためだ,という風に考えることにより,この里山の自然というものは大きく姿を変えてくる。そういう風に考えたとき,新しい炭焼きと新しい発電による里山管理の手法というのは,現実味を浴びてくると考えるわけです。

ですから,これはある意味,文化革命と言ってもいいと思います。私たちの文化,あるいは価値観というものを変えてしまおうじゃないか,という提案でもあります。

私たちが言ってる発電は,もうひとつ,大変重要な意味があります。それは,現在私たちは,電気がどこかで無尽蔵に作られて,無尽蔵に使って,そして知らん顔しているという文化に慣らされてきましたが,これはほんとにそれでいいのかどうか。私たちは,そうではないのじゃないか。つまり,現在,私たちの社会が当面している建築廃材やごみ,あるいは造園業が出す剪定枝とか,そういうものがすべて燃やされているのですが,それをすべて私たちは里山管理の発電と結びつけることによって,もっともっと大きな視野でこの問題を考え,しかもそれは大量集中生産という生産様式にたいして,小規模生産型の分散型の生産様式という新しい文化を配置することになるんだという風にも思っているわけです。こういった意味で,多くの私たちの価値観の転換を,同時に私たち自身がやりながらこの問題を里山管理というものにつなげたい。

私たちは里山の管理というのは,日本の自然をどうするのか,ということであると断言してもいいくらい,自信を持っています。ですから,最近自然を守れなどいろいろとありますが,自分の身の回りにある当たり前の自然に目を配らずにとんでもない貴重な植物や動物を守れというのは,自然なことではありません。ですから,私たちの身近な自然を見直して,これをどうしたらよいのかということを考えることにより,日本の自然というものをよみがえらしたい,というのが私たちの夢であります。

最初にアジテーションのようなお話をしてしまいましたが,これは私たちが5年間やってきた里山研究会の率直な気持ちでもあります。これが私の問題提起になったかどうかは知りませんが,これが今回,私たちがこのワークショップを開いた趣旨であります。

で,今回,先ほどお話しませんでしたが,私たちは森林組合の方に非常に期待をしています。森林組合の方々は,プロの森林労働者を持っていますし,おそらく里山管理の技術についても継承しておられます。私たちは今,あと10年は待てない。つまり,あと10年経てば,里山管理の技術体系は多分継承できないというふうに思っているのです。最近京都はポンポン山というところにゴルフ場を造るというはなしがありまして,これが反対運動でつぶれまして,京都市はこれを買い取りました。ここで,この山を歩いてみますと,炭窯が転々と山の中にあるのです。つまり,炭焼きによって維持されてきた里山林なのですけれども,この麓の集落に行って炭焼きについて知っている人がいるかと言えば,誰一人として知ってる人が地元にはいなくなっていたという話があります。これはもう,きわめて象徴的であります。

つまり,私たちの周辺の里山を,炭焼きをしていたときと同じように利用していこうという提案をしましても,その技術がすでに継承できない状況があちこちで生じているということです。ですから,私たちは,もうあまり待てません。ですから,里山研究というのは全く未熟ではありますが,未熟なら未熟なりに問題提起をし続けようというのが,私たちの気持ちであります。

以上,私の問題提起とさせていただきます。


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