さとやま

里山研究会ニュースレター
第7号
1994年2月14日発行

第4回講演会を開催しました

さる11月27日(土),日本イタリア京都会館におきまして第4回講演会を開催いたしました。「里山と地下水」と題して同志社大学理工学研究所の中川要之助氏に,また「はげ山の文化」と題して元明治大学教授の千葉徳爾氏にご講演いただきました。講師の方々並びにご出席の方々にあらためてお礼申し上げます。

ワークショップを開催します

3月11日(金),12日(土)の両日,京大楽友会舘におきまして,里山に関するワークショップを開催します。詳しい予定は後日お知らせいたします。

−目次−

第3回講演会要旨                       編集部   2
初めての炭の伏せ焼き報告        お米の勉強会   4
からのくに里山紀行 (最終回)        渡辺茂樹   8
お知らせ・他                          編集部  11

第3回講演会要旨

昨年9月18日,京大会舘で開催されました第3回講演会の要旨です。今回は,多様な取組みをしておられる森林組合の方のお話を伺いました。なお,この要旨は講演の内容を編集部の責任においてまとめたものです。

伊根町森林組合・岡田一郎常務理事のご講演

伊根町は京都府の北の端にあり,船屋で有名である。昭和29年,4つの村が合併して伊根町が発足した。合併当時7500人だった人口は現在3500人にまで減ってしまった。町の年間予算は約30億円。そのうち,林業予算の占める割合は0.4%である。

200人くらいの不在山林所有者がいる。山の標高は最高でも600mほど。森林面積は5000ha,人工林率は31%である。

「里山」の定義とはいったい何だろうかと考えて,「農林漁業者が自由に使える集落に近い山」と「里山」を定義することにする。

伊根町森林組合では1人で2000〜3000haを管理しており,年間の事業費は3億円(haあたり6万円)である。職員の他に,「森林活用推進員」と「作業班」とを置いている。森林活用推進員は月給制で,雇用形態は職員に近い。1・2月には雪のため作業班はほとんど仕事ができない。職員の定年は67歳である。森林組合合併以来の慣例として組合長は町長が兼務することとなっている。

大阪の業者と共同で温泉事業をしている。また,パラグライダーの基地を作った。これは,休閑使用林野を利用したもので,今年は3000〜3500人くらいの利用を期待している。ただし,採算的には赤字である。その他,信託契約事業を行っている。

和歌山県竜神村が,求人広告雑誌に求人広告を出したのを見て,和知町などと共同で10月25日に求人広告雑誌に広告を出した。すると,広告の出た当日から問い合わせが来た。

3月1日に2人,4月1日に2人を採用した。最初は日給8000円,しばらくして月給20万円という条件である。新人のために町営の木造住宅を用意した。今でも問い合わせが来るが,住宅問題がネックになっている。

森林組合は地域とのつながりが深く,町民運動会などのお世話もする。

昔は年2万5000俵ほど木炭を生産していたが,今では炭を焼いているのは一人だけになってしまった。

自然林は,社会資本の一つである。2500の市町村が毎年100haずつ整備するとして毎年25万ha整備できる。これに500億円投資するとすれば,haあたり20万円かけられる。

高槻市森林組合・氏原修参事のご講演

高槻市は人口36万人,面積は1万5000haある。大阪市の近郊にあるが,49%が森林で,これは大阪府内では能勢町,河内長野市に次いで3番目である。過疎の地域と過密の地域の両方が存在している。

森林組合の職員は,事務が7名,現場が20名,臨時雇が20名,観光センターに50名(パート)いる。出資金は3000万円。年間売上は5億円。造林は年18ha,保育は年552haおこなっている。その他,防除,林道工事,観光センター,間伐材の販売などをおこなっている。木材価格の低迷や戦後造林木が多いことなどにより,林業では収入が得にくい。

都市近郊林については,従来メリットと言われていた流通コストも最近では,遠方と比較してあまり有利でなくなった。一方,人件費が高いこと,公害の影響が出ることなどのデメリットがある。ただし,他から収入が得られるということはメリットである。しかし,地価が高いので相続税が高く,払えないため売る例もある。

戦前,里山は,燃料供給源として使われていたが,戦後には人工造林の対象になった。昭和30年代後半から,燃料転換により薪炭林が利用されなくなり,昭和40年代には,開発の対象となった。

昭和50年代には,環境利用ということがいわれるようになり,高槻市森林組合でも観光センターを設置した。

昭和60年代から,森林の質(良質材・広葉樹・治山治水)が問われるようになった。これからは,中味のある森林ということを考える必要がある。そのためには100年くらいの大径材生産というのも一つの案であるが,その間の収入については,市民の力を借りる必要がある。

森林を守るための役割分担が必要になる。つまり,行政は,(税金の一部から)資金を分配し,市民は森づくりに参加し,また,精神的に支援する。所有者は森林を守る。また,定年後の余暇労働にも向いている。そして,森林組合は雇用労働をおこない,林家にかわって森林を管理する。

昨年の10月,林業労働者を募集した。当日から問い合わせがあり,1週間で200名となった。そのうち,142名から履歴書が送られてきた。また,マスコミからの取材も多かった。なぜ人気があるのか?というと,単純にバブルがはじけたからというわけではないと考えている。この人達には,家では町と変わらない生活をしてもらおうと考えている。最終的に8人を採用した。前の職業はいろいろであるが,多様な人材を確保することで,将来の多角化も考慮に入れている。


投稿

村山日南子さんより,「お米の勉強会」で炭焼きをした時の模様が寄せられましたので,同会の機関紙より転載いたします。

初めての炭の伏せ焼き報告

(今回の炭焼きの主役)和田邦孝

1.目的
(1)自分たちで焼いた炭で自分たちで育てたお米のおにぎりや,肉や魚を焼いて食
   べたらおいしいだろう。
(2)間伐材や剪定枝の炭としての利用。
(3)簡単に炭ができれば,剪定を小まめにして街路樹や庭木への農薬散布を減らす
 ことができるのではないか。
(4)燃料,里山保護としての炭,薪の見直し。
(5)水の浄化や脱臭,除湿,土壌改良など炭の効用のPR。

2.炭焼きのための材料,資材
(1)炭材 マツ(マツ枯れ被害木),スギ(間伐材),スダジイ(間伐材)
   直径4〜10cm,2t車1杯弱程度
(2)燃料材 モミ,おが屑,剪定枝,枝打ちしたマツ
(3)トタン 1.8×0.6×4枚
(4)煙突 ブリキ直径12cm 2本

3.炭焼きの手順と経過
10月18日(月)〜22日(金)集材,運搬
10月23日(土) 晴天暖かすぎて暑い
    8:00    資材運搬(村山宅→芦屋川)
    9:30    穴掘り(長さ2.0m×幅1.0×深さ0.3)
            炭材組み(4〜5段)
            燃焼材(厚さ10cm,砂質土)
            焚き口と煙突口の周囲は,石とコンクリートブロックで補強
    11:15   全員で点火
            あおぐ                         煙突口の温度 22℃(予定温度)
    12:30                                       〃      48℃(68℃)
    13:00   煙多い(あおぐのを中断)            〃          (63℃)
            木酢液用の竹設置(S3?3A8直径15cm×1.5m)
    13:30   あおぐのを再開始               煙突口の温度 68℃
    1400                                        〃      72℃
    15:00   連続した煙                          〃      70℃(74)
            焚き口を絞る(竹,φ3cm×3本分)
    18:30                                       〃      67℃
    19:15   温度が上がらないため,焚き口を
            開ける(5×15cm)                   〃      65℃
    19:30   焚き口を絞る(竹,φ3cm×2本分)
    23:00   煙突口を半分板で閉じる
                                                〃      68℃(120)
    24:00                                       〃      70℃
 10月24日(日)
    1:00    (警察バイクの職務質問)            〃      72℃
    2:00    (警察パトカーの職務質問)          〃      82℃
    3:00                                        〃      80℃
    4:00                                        〃      85℃(195)
    5:00                                        〃     100℃
    6:00    焚き口を閉じる(釜だし予定12:00の6時間
            前と逆算して)                      〃     115℃(130)
    6:30                                        〃      86℃
    7:00                                        〃      86℃
    12:00   釜だし
            燃焼材が燃え残っている状態
            炭材は入口と,天井部分の一部の竹と細材が炭化。他は生木。
            木酢液の収量は1升瓶1本分。

4.失敗の原因
(1)テキストの「連続した煙」という状態を見誤り,あおぐのを止めたり,焚き口
 を絞ったため,燃焼材が燃え切らず,釜の中の温度が上がらなくて炭材に火が回
 らなかった。
   (多量の煙が連続して出るまであおがずに,1時間30分もあおいだからよい
 だろうと勝手な判断をした)
   (煙が確信を持てるまで多量の煙でなかったのに,4時間も経ったからと,焚
 き口を絞った)
(2)炭材が太すぎ,火がつきにくかった。
 (集材の都合で,直径4〜5cm級予定が4から10cmになった)
(3)燃焼材に剪定材も使ったが,生木のため燃えにくかった。
 (燃焼材の燃え残りは生木のみ)
(4)覆度が砂質土だったため,熱がこもりにくかった。(川原の土を使用した)
(5)総じて,未熟なため「このくらいでよいだろう」という判断の甘さが,炭材,
 燃焼土材集め,釜の設置場所,煙や煙突口温度の判断,温度が上がらないときの
 対処の仕方で誤ったと考えられる。

5.参考文献
(1)(社)全国林業改良普及協会「森林インストラクター入門」H4.7.1
(2)飯田 稔「NHK趣味講座・アウトドアライフの楽しみ」S63.8.15
(3)日本木質成形燃料工業協同組合「木炭の新用途とその現況」H3.3

6.参加者の感想
(1)釜だしを見られた八鹿町片山氏の感想
   煙突の傾け方と長さが不足。焚き口の方向も悪かったのではないか。焚き口を
 絞る時間が早すぎ,穴を一挙に小さくしすぎたのでは。
(2)心配して前日から手伝いに来て下さった八鹿町の維田幹氏の感想
 伏せ焼きの条件はその時々全て違うので体験で覚えていくより仕方がない。
   今回は川原という砂地の条件の悪さがあったが,炭材が乾いていたり上にいろ
 いろ覆ったので,うまくいけば炭材の質よりむしろいい炭ができるのではないか
 と期待していた。
   焚き口を絞るのが早すぎるかと思ったが,焚きすぎても炭材を燃やしてしまう
 ので,1つの判断だと思った。
   もみをかぶせたのはうまくいけば炭材をすっぽり熱で覆いいい炭になると思っ
 たが,炭化が不十分だったことから考えると,もみが炭材に詰まって空気の流れ
 を悪くしたかもしれない。
   釜だしから逆算して焚き口を閉じるのは?気持ちは分かるが焼き出したら釜の
 中に任せなければ,自然が相手なんだから。
   失敗からの方が学ぶことが多くてよい。皆にとっていい経験だったと思う。次
 に活かしてほしい。
(3)前週に急遽もっと原始的な伏せ焼きを能勢の本職の炭焼きの長谷川さんに習い
 に行った中元幸市氏の感想
   釜の中がどうなっているのか,体験を積まないと判断ができない。
   これきりにしないで何とかもみを被せる炭焼きを成功させない。
(4)無謀な計画だとあちこちの専門家からダメコールを受けながらも,やってしまっ
 た村山の感想
   着火のときは素人っぽかった釜が焚くうちに風格を持った釜になり,生きてい
 ると感じた。火を消してからは情けない釜であったが,もっと陥没しないと成功
 ではないと後で聞いた。
   釜の中で一晩どんなドラマがあったのだろう。体験を積めば釜の中の火のうね
 りを体感できるのだろう,それが炭焼きの魅力だろうと,長谷川さんの「言葉で
 は言えない」という事の中身が感動的に分かった気がした。
   生活費を得るための仕事としては極めてきついが,やはり炭焼きは芸術に通じ
 る魅力があると思った。
   剪定材を焼ける釜を考案してほしい。
   多くの方にご心配ご迷惑をおかけしたが,やってよかったし,またやりたいと
 思った。子供に火の魅力を体得してほしい。有り難うございました。

投稿

からのくに里山紀行 (最終回)

渡辺茂樹

前日,参鶏湯を食べながら飲んだマッカリが未だ少し頭に残る。釜山について最初の夜に風呂でコケて強打した肋骨が未だ少し痛い。が,ともかく午前10時には標高850mの自然学習園を出て,1000m余の高さを踏み登らねばならない。

道沿いの樹種はシラカンバ,ダケカンバ,コミネカエデ,モッコク,エンジュ,ナツハゼ等々(出現順序不同),無論ミズナラ,トウヒもある。草本は,ソバナ,ワレモコウ,ヨメナ,センノウ,シオガマギク,トウテイラン等々だが,日本のものと比較しての分類学的位置付けは無論私にはわからない。やはり昆虫の数は少ないが,前日の谷歩きでは見ることができなかったシマリスを3回,リスを1回目撃することができた。食肉目の糞はイタチが3個のみである。自然学習園近くの2個も含め,今回の旅行で採集イタチの糞の合計は6個だが,果肉含有の1個を除いてはすべてネズミ(おそらくこの国の優先種セスジネズミだろう)食であった。ちなみにニホンイタチの場合,夏季の植生は昆虫の占める割合がかなり高い。

山登りはつらいが楽しい。私は煙ではないが馬鹿だから,最高到達点(1915m)を踏んだ時の気分は爽快であった。唯一の心残りは抜きつ抜かれつして登った高校生風の女の子(岩崎恭子ちゃんに一寸似ていた)の写真撮れなかったことである。Mr.韓が“御一緒にいかが?”と図々しく頼みこんだが,"No, thank you"とあっさり断わられた(韓国語で)。いい年こいたオッサンが4そろってと苦笑しつつ…“Mr.韓は偉い!”と妙に感心してしまった。

これでおしまいである。下山のあとは釜山に戻って一泊し,翌日特急セマウル号でソウルに向かったが,以後特筆すべきことは何もない。ソウルの近くにも田畑や山林があることは言わずもがなだが,セマウル号の車窓から眺めただけである。38度線には近寄らず,臨津江(イムジンガン)の水が清いか否かも確認し損なった。そして今回の旅行の最大の眼目であったチョウセンイタチの母国生態調査(を共同研究として行うための下工作)は失敗した。

さて,里山である。連載をここまでお読みいただいた諸氏の中には,看板に偽りありと感じる向きも少なくないのではと思う。結局のところ韓国に里山はあるのかないのか?よくわからないというのが正直のところだが…多分あるだろう。ただ,直接に足を踏み入れたのは比較的標高の高いところのみということもあり,その実態は判然としない。日本の里山に見られるような野生哺乳類との好ましい共存関係の有無も,確認できずじまいであった。

失敗と未確認の重複は今後に課題を残した。ただ,それを解くために再度の旅行をしたいとはあまり思わない。そのような作業は大金持ちの子弟か,職業的研究者のみに許された特権だろう。そうでない私は好むと好まざるとにかかわらず祖国=イルボンにへばりつき,一生を終えるのが定めのように思う昨今である。

(追記)

淀川の流域=高槻の市内に鵜殿という名のアシ原がある。このアシ原では毎年2月に「野焼き」があるのだが,その一方でここにはイタチ(シベリアイタチ優占=ニホンイタチも若干)が多いのであり,火事のあとどうしているのだろうと私はかねがね疑問に思っていた。

以前からこの地でネズミの調査をしている知人の関係で,極めて短期間だがイタチの調査をしたことがある。結局この調査はうまくいかなかったのだが(それ故に短期間で中止した),「野焼き」の影響はあまりないようであるということだけはわかった。何となれば周辺部はかなり焼け残っているのであって,火入れ前の状態とあまり変わらない。中央部はきれいに灰になっていることで行動範囲は多少狭められたとしても,元々の個体群密度がゆとりあるものとすれば,少々窮屈な思いをするだけで事足りる。そして大阪の春は早い。あと1〜2ヶ月もすれば,あっという間に緑が芽ぶくのである。

今回の旅行で,私はふとこのことを思い出した。625動乱(開戦が1950年6月25日であったことに由来)でやけた韓国の山林の規模はおそらく私の想定よりも少なめだったのであろう(無論そのことはこの戦争の悲惨さをいささかも減ずるものではないが)。韓国国民の植林努力もあり,40年の歳月は二次遷移の進行にそれほど不足するものではなかろうが,もし丸焼けになったなら野生獣のダメージはずっと大きかったはずである(白頭山を越える個体群は38度線の鉄条網で阻まれる:嘘みたいな話だが)。何よりもまず,更に何倍かの死者が出たはずだ。

森林伐採はどうであろうか。李王朝時代のそれがかなり激しいものであったことは,文書記録にうかがえる(「日帝」犯人像は多くの場合濡れ衣らしい)。司馬遼太郎はその引金を降水量の少なさとオンドル(燃料として大量の薪が必要),そして儒教(勤労をいやしむが故に植林が停滞)に求めているがこの話は少々怪しい。雨が多く儒教が普及していない日本でも,徳川政権末期には禿山が多かったようだからである(里山研究会会合=1992.9.19)。私がイメージするところの日本の里山は,100年前のそれとはどうも違うらしい。

様相が変わったのは無論19世紀末の燃料革命が因である。以後生きた植物体が火力として使われる機会は減少し,山の木々は黄金時代を迎えることになる(朝鮮では依然禿山が多かったとしたら…「日帝」の間接責任はあるかも)。一方ではそれは大気汚染等の環境破壊につながっていくことになるのだが,ムササビ(朝鮮にはいない),モモンガ,リスあるいはテン等の樹木依存度が高い哺乳類にとってのこの100年は,わが世のはるであったに違いない(少なくとも日本では)。

ただ,いわゆる里山動物であり樹木依存度がそれほど高くないキツネ,タヌキ,イタチ,ウサギ等々では,事情が少し異なるようにも思われる。鵜殿のイタチの例にも見るように,里山の動物たちは案外したたかだ(だからこその里山動物でもある)。加えて遷移の途中停止は草食性の動物の食料条件をむしろ好転させる(故に動物食動物の餌も増える)。私のイメージとは異なる19世紀の里山も,これらの動物にとっては決して住みにくくなかったのではあるまいか。

無論だからといって今なお続く森林の伐採を,全面的に肯定するつもりは毛頭ない。ものには限度というものがあるからだが,必ずしも判然としないその限度の閾値を知るために,過去の山林の復元はおそらく有効だろう。とはいえタイムマシンを持たない我々の過去復元能力にもまた限度があり…となると,ありきたりの言い方だが,「現在」の横の比較が重要な意味を持つ。決してモデルケースになりうるという意味ではなく,韓国の森林はやはり面白い。“再度の旅行をしたいとはあまり思わない”というのは実は嘘であり,機会があればまた何時と思っている。


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第6号中に以下の誤りがありました。おわびして訂正します。

  1ページ表題中
  12月1日発行→11月15日発行

受け入れ資料

次の団体から資料をいただきました。閲覧ご希望の方はお知らせください。

カンパのお礼

次の方々からカンパをいただきました。厚くお礼申し上げます。

新谷陽子・小倉純一・古南幸弘・五味義明・村田信・瀬川也寸子・光田美彦・中川要之助・朝子哲夫・千葉尚二・巽正平・村山日南子

(順不同・敬称略)

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また,経費節減のため原則として領収証は発行いたしておりません。とくにご入用の方はその旨おしらせください。

編集後記

このニュースレターも2回目の新年を迎えることができました。編集者の怠慢のため,あいかわらず発行の間隔があいておりますが,今後ともよろしくお願いいたします。

(伊東)