さとやま

里山研究会ニュースレター
第10号
1995.12.1

里山国際セミナーの報告

京都府立ゼミナールハウス主催の京都国際セミナーは,「安定社会」をテーマに今年で66回目を迎えました。この3年間は,「生態学から見た安定社会」をテーマに開催されてきました。1994年は「里山」をテーマに開催することになり,私たちの里山研究会が中心になって準備を行い,昨年12月9日から11日まで,京都府北桑田郡京北町の京都府立ゼミナールハウスにて「安定社会—里山とその自然の持続的利用—」(6th Kyoto International seminar Stable Community --- Satoyama and Sustainable Utilization of Its Nature ---) が開かれました。韓国,中国,ネパールからの参加者を含めて延べ 140名以上が参加しました。

10日の夕刻からは地元の住民との交流をはかるために,公開講演会と地元の無形文化財「北山太鼓」の公演が行われました。立食によるパーティーも行われ,地元からは森林組合関係者,里山に関心を持つ自然保護運動の活動家などをはじめ,地元の無形文化財「京北大杉太鼓」の演者などが参加して,セミナー参加者とさまざまな交流が行われました。

この国際セミナーを開催した趣旨は次のようにいえると思います。

「縄文時代以来人々が利用しながら維持してきた里山は,いわば人工的な安定社会である。集落,雑木林,人工林,耕作地ときには採草地が入り組んだ日本の農村の景観は,見る人に安定感を与える。日本人は里山との関わりの中でその感性を養い,里山との関わりの中で日本の文化をはぐくんできた。京都府立ゼミナールハウスが継続して取り組んできた「安定社会の総合的研究」の一環として,今年は里山を取り上げることにした。テーマは『安定社会—里山とその自然の持続的利用—』である。

韓国,中国,ネパールから話題提供者を招き,研究者や実務家を含む日本の里山問題の専門家と討論することによって,アジアの国々の里山の状況にかんする情報交換を行うとともに,里山問題の重要性を確認してアジアでともに里山の研究を始めようではないかとこのセミナーを通して提案をしたい。アジアの国々には,それぞれ異なった里山事情があるが,このセミナー開催の呼びかけにたいへん好意的な反応が寄せられた。日本では里山が集中的に破壊されている状況がある。高度成長期以降に日本の里山で起きたことが,韓国などではやや遅れて起きているにもかかわらず,里山はまったく注目されていないという状況がある。また,中国のハゲ山がいつ頃発生したのかを知り,中国の里山が今どのように利用されているかを知りたいという要望もある。森林の荒廃が進んでいるネパールの人々には,かつてハゲ山だらけだった日本の過去の状況を知ることが林地荒廃から脱出する希望につながることになるだろう。このセミナーはアジアで里山研究を通した新しい連帯を生み出す契機になる予感がある。」

このセミナーでは。会員と協力者によって同時通訳を行いました。そこで問題になったのが,里山を英語でなんというかという問題でした。英語にはcoppice(萌芽林)という言葉があります。日本の里山と同じような利用をされてきた林ですが,日本の里山にはマツ山もあって萌芽林ばかりではありませんから,coppiceでは適切ではありません。そこで,シンポジウムの招請状から,satoyama (里山)を使いました。ネパールをのぞく漢字圏では何の問題もなく理解されたのは,たいへん興味深いことでした。ネパールからの参加者もsatoyamaを理解し,里山を共通語にして,里山の研究を進めようと提案してくれました。韓国には「洞山(dongsan)という日本の里山に相当する言葉があるようです。

総合討論では,アジアの里山研究を協力して進めるとともに,里山保護に関しても手を携えたいと外国からの参加者全員から提案があり,私たちの意図が理解されて胸が熱くなりました。何らかの形でアジアにおける里山の生態学,里山の生物学,里山の保全をめぐるこのような取り組みを継続して,satoyamaという言葉を使って,里山をめぐるアジアの連帯を深めたいものだと考えています。

貧乏な私たちの国際シンポの趣旨を理解して同時通訳に協力してくれた,京大大学院農学研究科博士課程の留学生 John Breer さん,京大大学院人間・環境学研究科博士課程の留学生 Steven Hoffmanさん,東京から駆けつけてくれた東大大学院農学研究科の中川昌彦さんに心から感謝します。なお,守山弘さんや重松敏則さんにもポスター参加をお願いして,資料を送っていただきましたが,英文翻訳ができずご迷惑をかけました。

勇壮な「京北大杉太鼓」の公演には,参加者一同興奮と感銘を受けました。保存会の方々には無理なお願いをして公演していただきました。心から感謝します。

プログラムは以下の通りです。

第6回京都国際セミナー
「安定社会—里山とその自然の持続的利用—」
1994年12月9−11日

12月9日(金)午後
13:00   川本 邵 ゼミナールハウス:開会の挨拶
        川那部浩哉 京大:開会の挨拶
        田端英雄 京大:セミナーの目的
第1部  アジア諸国の里山の状況
13:30   シャオ・ドゥニン(中国科学院応用生態学研究所):
            ヤママユガの飼料を供給する中国遼寧省のナラ林
14:15   チャン・ナムキー(韓国ソウル国立大学):
            韓国における環境自己浄化にたいする緑地帯の影響
15:00   —コーヒーブレイク—
15:30   S. B. マッラ (ネパール林業コンサルタント):
            ネパールにおける森林:その状況と発展の見通し
16:15   小椋純一 (京都精華大学):
            古い絵図,地図,写真から復元した日本の里山景観の歴史
17:00   討論
ポスター・セッション
        千葉徳爾 (千葉県立中央博物館)
            東アジアにおける林地荒廃の発生—その時代・原因・今後の課題—

12月10日(土)午前
第2部 里山の生態学
09:15   石井 実 (大阪府立大学):近年における里山のチョウ相の変化
10:00   —コーヒーブレイク—
10:30   中越信和( 広島大学):経済活動と景観からみた里山の維持
11:15   リー・キュソン (韓国ソウル国立大学):
            韓国江原道における焼畑跡地の植生回復

12月10日(土)午後
13:30   田端,佐久間,伊東,柳沢,本間,白井,立沢,瀬川,日比,浜田,小坂,
        宮崎,長野,辻川,安川 (京大・森林総研など):里山の生態的特性
14:15   横山和正( 滋賀大学):菌相とその利用からみた里山の特性
15:00   —コーヒーブレイク—
15:30   ポスター・セッション
        小野山敬一 (帯広畜産大学):里山のアリ相の特徴
16:15   討論

18:00   公開講演
        郷土芸能公演 京北大杉太鼓
        S.B.マッラ (ネパール林業コンサルタント):ヒマラヤの自然
        田端英雄(京大):里山とその将来

12月11日(日)午前
第3部 里山の保全とその持続的利用
09:00   吉津耕一( 只見木材加工協同組合):
            里山になにが起きたかー里山を保全するための我々の提案
09:30   氏原 修(高槻森林組合):里山保全における森林組合の役割
10:00   —コーヒーブレイク—
10:30   ポスター・セッション
        鳥居厚志 (農林水産省森林総合研究所関西支所):
            南山城地域における竹林の拡大
10:30   総合討論
11:50   橋本正夫 (京都ゼミナールハウス):閉会の挨拶

<講演要旨>

遼寧省におけるマユガを飼養するナラ林の生態学的特性と保全

シャオ ドゥニン(肖篤寧)
中国科学院応用生態学研究所
瀋陽 110015, 中国

マユガを飼養するナラ林は萌芽ナラ林に属する里山林の特別なタイプである。東北中国には750,000ヘクタールのマユガを飼養するナラ林があり,遼寧省は主要なマユガの産地である。45トンの繭生産があり,それは中国の全生産高の10パーセントにあたる。モンゴリナラ,リョウトウナラ,クヌギが優占するマユガを飼養するナラ林は主に遼寧省の東部山地に分布する。

本研究はまずマユガを飼養するナラ林景観の生態学的特性・特徴を記載し,‘階段状’の樹冠が他のいろいろな樹冠の中で最も適正なものであることを考察する。

第2に,マユガを飼養するナラ林での養分,主に窒素の循環を分析した。循環内では養分の約55パーセントは分解する葉から幹や枝に移動し,残りは落葉や 14.6kg/ha.yrの繭内の死亡幼虫といっしょに土壌にもどる。また,成虫に含まれる 0.1kg/ha.yrがこの循環システムの外に出される。そしてこのことがマユガを飼養するナラ林の生産力減少を引き起こす主要な理由の一つである。

最後に,この生態系の劣化を改善してマユガを飼養するナラ林を徹底的に利用するような,この林の持続的利用とその発展のための手法を編み出したことについて議論する。

自浄作用にたいする緑地帯の影響

チャン ナムキー
韓国ソウル大学教育学部生物学教室
ソウル 151-742, 韓国

本研究では,林床における落葉落枝の生産と分解のバランスと韓国ソウル近郊のグリーンベルト内の小川における汚染と自浄作用のバランスを研究した。

落葉落枝の分解係数あるいは汚染物質と自浄作用係数を決めるために,分解過程と自浄作用過程を式に表し,これらの係数の測定方法が導かれた。

C = C0 e-st

ここでC0は生態系に負荷された初期量,Cは時間t後の残量,分解係数あるいは自己浄化係数がsである。もし,落葉落枝の蓄積が変異を示さず定常状態レベルに達するならば,分解係数S

S = C0 / Css

になる。

水域生態系では,C0は水体に負荷された初期汚染量,Cは時間t後の残量とすると,自浄作用係数は

S = lnC0 - ln C / t

で計算される。

クヌギ Quercus acutissima,コナラ Q. serrata,モンゴリナラ Q. mongolica,コレエンシスヤナギ Salix koreensis,ヤマハンノキ Alnus hirsuta,コーライマツ Pinus koraiensis,アカマツ P. densiflora,リギダマツ P. rigidaの林床における落葉落枝の分解係数は,それぞれ 0.11〜0.23, 0.22, 0.23〜0.37, 0.32, 0.15, 0.16, 0.11, 0.11〜0.19 である。樹種によって制御されている落葉落枝生産と分解のバランスの変化は,土壌にもどるミネラル養分を変え,様々な土壌条件に導き,養分吸収を維持する。

ソウル近郊のグリーンベルト内のゴクニュン Gokneung 川周辺の生態系の植生は,ナラ類が優占している。DO(溶存酸素), BOD(生物学的酸素要求量), 電気伝導度,全リン量に基づく生理化学的分析で,上流が汚染しているように考えられたが,下流は自浄作用で浄化されていた。底生の大型無脊椎動物の生態学的研究においても,同様の結果をえた。上流の自浄作用係数1.01は最高値であった。月ごとの自浄作用係数では,9月の値が0.99で1月の値が0.27であった。これらの結果は,ゴクニュン川においては春期と秋期の自浄作用能力が冬期と夏期のそれよりも大きいことを示している。

森林:ネパールにおける状況と展望

S.B.マッラ
非木材森林産物コンサルタント
ネパール

東ネパール,中部ネパール,西ネパールにおける自然地理学的な位置,森林の生物学的な成帯性,植生分布について考察する。

森林のむちゃくちゃな破壊が,ネパールは毎年洪水,土壌侵食などの大規模な自然災害を伴う重大な災難に直面させられている。

1992年に制定された新しい「森林法」のもとに劣化した森林を改善する手段として,七つの異なった森林型に分けられたことに関して簡単に述べる。

もし近く導入される政策,法規,規定ができるだけ明快に作られ,誠意を持って住民参加を促進して実施されるならば,いくつもの森林計画の将来管理と発展の展望はきわめて楽観的である。

ネパールの条件下での研究と開発計画,林業発展追求へのそれらの活用の重要性と,変化する状況の下で起きうる新しい挑戦や問題と戦うための林業の持続的発展ための人的資源の開発計画などについて述べたい。

古い絵図,地図,写真から復元した里山の歴史的景観

小椋純一
京都精華大学人文学部

歴史的文献や自然科学的研究は多くあるにもかかわらず,産業革命(1800年代後期)以前の日本の里山景観の歴史はあまり明瞭であるとはいえない。古い文献には里山の植生についての記載は少なく,かつ断片的である。一方,花粉分析による研究も,歴史時代の植生を十分明らかにしていない。日本の里山の歴史的景観を明らかにするために,古い絵図,地図,写真を研究する理由がここにある。

まず第一に,古い絵図を検討する。日本の古くからの都市である京都周辺の丘陵や山地(大部分里山である)をその研究対象として選んだ。絵図は必ずしも写実的に描かれるわけではないので,描写の写実性,特に古い絵図における植生の描写の写実性を証明するのは困難であると広く考えられてきた。しかし,もし何らかの方法で描写の写実性が証明されるならば,いくつかの絵図が過去の景観を復元する重要な資料となる可能性がある。

約10年にわたる研究の結果,古い絵図の写実性を証明する方法論が確立された。いくつかの比較方法がこの証明に特に有効である。そして室町時代末期(1500年代初期)から江戸時代末期(1800年代初・中期)の間に描かれたいくつかの絵図が研究された。

研究の結果,絵図に描かれた当時の景観は現在の景観と非常に違っていること,しかもその景観がその時代をとおしてあまり変化していないということが明らかになった。当時,京都周辺の丘陵や山地には背の低い植生や貧弱な植生の地域が広くみられ,樹高の高い植生は仏教寺院,神道の神社のような特別な場所をのぞくとあまり見られなかったということも明らかになった。マツ(多分アカマツ)が比較的良好な林にもごく普通に見られる。このことはそれらの林も人間によって非常に撹乱を受けていたことを意味している。

第二に,京阪神地方(京都,奈良,大阪,神戸,とその近郊)と関東地方(東京が中心である)の丘陵あるいは山地(これも大部分里山である)の過去の植生を明らかにするために,1880年代に測図された地形図を研究した。これらの地形図は,2万分の1の縮尺で広汎にかつ詳細に測図された最初の地形図である。この地図に,いくつかの概念不明な植生記号があるのが問題であった。この問題を解決するめに,地図測図が行われた時に記録された「偵察録」を含む資料と当時撮影された写真が検討された。その結果,古い地形図の植生記載の精度も明らかになった。

地図上に示されている植生はここでも,現在の植生と非常に異なっていた。農地以外の草地のような背丈の低い植生が丘陵地や山地に普通であったり,樹高4ー5メートル以下の林も普通に見られた。マツ(主ににアカマツと思われる)が特に京阪神地方で林の中で優占していたのに対して,関東地方では落葉性のナラ類(主としてコナラ,クヌギ)が優占していた。高林や上木をともなった疎林(その規模は小さい)が国有地内や仏教寺院,神道神社,住居の近くや道路沿いによく見られた。植生のない地域や貧弱な植生の地域が京阪神地方の里山には普通に見られた。

第三に,江戸時代末期(1860年代)から明治時代中期(1880年代〜1890年代)の間に撮影された古い写真を研究した。研究対象地区は京阪神地方と関東地方である。写真に写っている植生の詳細を主として比較研究したりパーソナル・コンピューターでシミュレーションしたりして研究した。結果は当時の地形図や文献からえられた結果と似ていたが,それでは明らかにならなかったある場所の特異な景観も明らかになった。

近年における里山のチョウ相の変化

石井 実
大阪府立大学農学部昆虫学研究室

現在のところ,わが国に土着する約240種のチョウ類の中で種として絶滅したものはないが,地域個体群のレベルでは,生息地の消失,縮小,分断,変質などにより危機に瀕している種も多い。最近,日本鱗翅学会が刊行した「日本産蝶類の衰亡と保護」の第1集(浜ら, 1989),第2集(矢田・上田, 1993)などによると,伝統的な農業の背景にあった里山の雑木林や採草地に依存していた種の衰亡が顕著であることが明らかになった。

例えば,オオルリシジミやオオウラギンヒョウンは,食草のクララやスミレの自生する明るい草原の減少により,全国的な規模で地域個体群の絶滅や衰退が進行している。これらの種の依存する遷移段階初期のシバ草原の多くは,近年まで牛馬飼養や茅葺き屋根のための採草地や放牧地として維持されてきたものである。

また,温帯性落葉樹林の要素であるギフチョウやオオムラサキ,ミドリシジミ類も,薪炭林の消失などにより,各地で個体群の衰退が著しい。やや山地性のギフチョウでは,生息地が宅地あるいはリゾート開発などで破壊される以外に,スギやヒノキの植林地として利用されることが衰亡の原因となっている。後者の場合,近年の林業不況で植林の定期的伐採や間伐,下刈りなどが行われなくなると,スギ・ヒノキの生長に伴って食草であるカンアオイ類の個体群が暗い林床で衰退し,ギフチョウ個体群も崩壊する。

大阪府北部の三草山(564 m)山麓の雑木林においてとランセクト法によりチョウ類群集の調査を実施したところ,種多様度は極相林に匹敵するほど高いことが明らかになった。一方,大阪府内の服部緑地や大泉緑地などの雑木林を配した大規模公園では,訪花性,移動性,多化性の種が多く,ササ食の種が少ないなど,明らかにチョウ類群集の構造が異なっていた。里山のチョウ類をまもるには,現存の里山を維持する必要がある。

日本と韓国における経済活動・景観と関連した里山の維持

中越信和
広島大学総合科学部環境科学教室

日本と韓国は,かつて田園の森林システム「里山」を伴った同じ農業体制を共有していた。これらの国における里山は似た循環利用法によって管理されていた。そして似た生態的特性を持っていた。里山は極盛相の広葉樹林に置き換わったマツ林とナラ林によって特徴づけられた。2000年以上にわたって,里山は農業特に米作のために存在し,人々に消費財をもたらした。ところが,1960年代から日本の里山と田園的景観は,農業革命と燃料革命によって劇的に変化を余儀なくされた。それ以来,里山の植生構造と景観システムはなくなりつつある。近年,農村における過疎とその結果起きた里山利用の減少とオンドル暖房システムの改良のために,韓国の里山も変化に直面している。元来のオンドルは,林床から集めた植物とマツの枝を使った。一方,近代的なオンドルは熱源として石油を使う。現在の経済状況では,里山は以前の状態に回復することはほとんどないだろう。両国において,里山の本来の機能を回復する試みるならば,新しい経済的利益と共通の目的を人々に提示する必要があるだろう。そうすれば,田園地帯における地域文化と里山を含めた田園景観における生物多様性を保全することができよう。

韓国東部江原道における焼畑跡地の植生回復

リー・キュソン
ソウル国立大学理学部生物学教室

韓国江原道の焼畑後の放棄畑における植生回復の機構を明らかにするために,14カ所の0.5から80年経過した放棄畑を慎重に選んだ。遷移過程における環境要素,種構成,構造的変数の時間的変化パターンを記載し,若干の遷移仮説を個体群レベル,群集レベルで検討した。

種構成にもとづくDCA座標付けによると,各遷移途中相における優占種は以下のとおりである: 1年生草本段階(放棄後0.1年)ではメヒシバ属のDigitaria sanguinalis,ペルシカリア属のPersicaria spp.,ツユクサCommelina communis: ムカシヨモギ属-ヨモギ属段階(放棄後2-6年)ムカシヨモギ属 Erigeron spp.,ヨモギ属Artemisia spp. マツヨイグサ属Oenothera odorata: 低木-初期高木段階(放棄後10-25年)におけるアカマツPinus densiflora,ヤナギ属 Salix spp.,マルバハギ Lespedeza cyrtobotrya,ススキ Miscanthus sinensis,トダシバ Arundinella hirta,オオアブラススキ属のSpodiopogon cotulifer: 後期高木段階(放棄後50-80年)モンゴリナラ Quercus mongolica,クロヅル属 Triptergium regelli,ハギ属のLespedeza maximowiczii,ウマノスズクサ属 Aristolochia manshuriensis,タガネソウCarex siderosticta,チゴユリDisporum smilacinum。これらの調査地における種構成の変化は,初期種構成モデル(IFC)とかなりよく一致する。

一年生草本段階から高木段階に進むにつれて,相対照度は減少する一方,落葉落枝層は急速に発達する。土壌中のカルシウム,マグネシウム,アルミニウム,マンガン,ナトリウムと土壌 pHは低木段階ないしは初期高木段階にピークがある。そして,土壌深度,土壌中の有機物,全窒素,砂含量,容水量は徐々に増加する。しかし,土壌中の有機物,全窒素,カルシウム,マグネシウム,アルミニウム,シルト含量,土壌pHは,一年草本段階やムカシヨモギ属ーヨモギ属段階でやや減少する傾向があった。

植生が発達するにつれて,木本階層の高さ,幹密度,基底面席,低木層と高木層の被度はっ対数的に増加するが,草本層の被度は徐々に減少する。種の豊かさと多様性指数は低木段階ないしは初期高木段階でピークを示す。radicoid 型の地下茎生長や草本植物の動物による伝播は明らかに増加傾向にあり,木本種の萌芽は減少する。遷移の速度は後期よりも前期が早い。

草本層における植物間の重要なアソシエーションのパターンを種のペアについて順位相関を計算して各段階ごとに検討した。植物間のアソシエーションの割合とレベルは一年生草本段階から初期高木段階に向けて減少するが,後期高木段階でやや増加する。一年生草本と二年生草本のアソシエーションは一年生草本段階から初期高木段階にかけて有意に高く,単遠征草本とこく本種のアソシエーションは後期高木段階において有意に高い。固有種は移入種よりも有意なアソシエーションを示す。この結果は遷移は初期の植生発達過程における種特異的,個別過程(individual process)であるというモデルを支持する。

施肥実験と撹乱実権を放棄後5年たった畑で行った。施肥によって,植生高,被度,バイオマスは増えたが,相対照度,種密度,種多様性は減少した。一年生草本とヨモギの相対被度あるいは相対バイオマスは窒素の傾度に沿って減少した。ムカシヨモギ属とマツヨイグサ属は中程度の窒素処理でピークを示し,木本植物とヨモギをのぞく多年生草本は高濃度の窒素処理でピークを示した。撹乱の傾度にそって,相対照度は増加したが,植生高とバイオマスは減少した。種多様性は中程度の撹乱でピークを示した。ムカシヨモギ属と一年生草本の相対バイオマスは強度の撹乱で高かった。これらの結果は遷移初期の速度が高濃度の土壌窒素を持った放棄畑で促進され,動物や人間によって撹乱される畑では遅くなることを示唆している。

種構成にもとづくDCA 座標付けによれば,放棄後の年数にしたがって各畑はDCA 1軸の左から右へ座標付けされる。1軸のスコアは高度,落葉落枝の蓄積,有機物,圃場容水量,土壌中の全窒素量,土壌深度,砂含量,木本層の高さ,種の豊かさ,極盛相の種の侵入,多年生草本,動物伝播性,地下茎のradicoid型生長と正の相関があり,相対照度,シルト含量,草本層の高さ,一年生草本,木本種の萌芽と負の相関がある。

里山の生態的特性

田端,佐久間,伊東,柳沢,本間,白井,立沢,瀬川,
日比,浜田,小坂,宮崎,長野,辻川,安川
京大生態学研究センターほか

里山は,燃料,木炭生産,木製の道具や盛夏通必需品のために高木だけでなく下層植生をも切ったり,水田で使う堆肥のために林床から落葉落枝を採集したり,山菜やキノコを採取したりして,昔から利用され維持されてきた非常に特別なそして人工的な自然である。樹幹や枝は普通林地から持ち去られる。結果的に,里山の土壌は成熟してなくてやせている。令の異なったパッチ状の林が隣接してあるのも里山の重要な生態学的特性の一つである。燃料革命と日本人の生活スタイルの変化があって,最近20〜30年間里山は放置されて,里山は開発あるは森林破壊の標的になっている。

里山は今まで生態学研究者を含む生物学研究者によって研究されていない。私たちは里山にすむ動植物の生態にかんする情報を持っていません。何年も前に里山の管理をやめても,里山はまだその特性を維持しているという印象を持っているので,私たちは里山の特性を明らかにするために,丘陵が更新統の堆積物から形成されている京都府南部で里山の共同研究を始めたとこである。

最初に,調査地の生活場所の特性について,動植物がどのように現在のさとやま環境を利用しているかにふれながら,特に過去の土地利用と若干の調査域の地質学的データを含む現在の環境条件について報告する。

基質は3つの異なった堆積物,つまり礫層,砂層,粘土層ないしはシルト層から構成されている。植生の分布は基質ないしは土壌の物理的特性とくに土壌の堅さによって影響を受ける。湿性の場所は粘土層の露出部分にあって,そこは多分氷河期の依存と思われるか弱い草本が生育する。

植生データをクラスター分析して,2つの植生型を中止した。その上で,植生と環境要素の関係を主成分分析で検討した。

里山環境の範囲を明らかにするために,若干の植物の分布や水生昆虫,カメ,ノウサギの生態を議論する。

最後に,里山の保全の基礎としての minimum dynamic area を得るために,里山の代表的な種について行っているアイソザイム分析にも若干ふれる。

菌相とその利用から見た里山の特性

横山和正
滋賀大学教育学部生物学教室

日本の森林帯は,(1) 亜寒帯/亜高山帯,(2)冷温帯落葉広葉樹林,(3)暖温帯常緑広葉樹林,(4) 亜熱帯常緑広葉樹林 の4つに分けられる(四手井, 1974)。

西日本では4ー5世紀に常緑広葉樹林が破壊されて水田にかえられた。しかし,古い首都つまり宮殿,役所,多くの大寺院,神社や多くの家屋を作るために,奈良,京都では7世紀末から 8 世紀にかけて最も激しい自然林の破壊が行われた。その頃からマツ林が次第に拡大した。 12 世紀から 13 世紀にかけて,京都周辺の山地の 80パーセントはマツ林であった。滋賀県の田上山地域では,7 - 8 世紀には森林はほとんど完全に裸地化していて,それ以降条件は年々悪化して,17 世紀には砂嵐が頻繁に起き,激しい侵食のために上昇した河床が形成され,洪水が頻発した。中野村や柴原村は完全に洪水で流失して,1708年に丘陵の上に移動した。

常緑広葉樹林はたいてい水田やマツ林に変わった。しかし,小さな常緑広葉樹林が寺院や神社の境内に残されてきた。最も普及している竹の一つであるモウソウチク Phyllostachys heterocycla は 18 世紀に南中国から九州に導入され,タケノコと成熟した稈を利用するので人為的に広く分布した。

本郷博士と筆者は 20年以上にわたって日本キノコ相を研究して,日本産ハラタケ目は分布域から,(1)全世界分布型,(2)北半球型,(3)ユーラシア型,(4)北米ー東アジア型,(5)極東型,(6)東南アジア型,(7)熱帯ー亜熱帯型,(8)寒帯型,(9)固有種型の少なくとも9つのグループに分けられることを明らかにした(本郷・横山, 1978)。

常緑広葉樹林では盛夏に,ダイダイガサ Cryptoderma aspratus のような熱帯性のキノコがしばしば出たり,オニテングタケ Amanita perpasta などのような東南アジアと共通な種もでる。京都周辺の竹林では,キヌガサタケ Dictyophora indusiata や ヤブシビレタケ Psilocybe lonchophorus などのような熱帯・亜熱帯性のキノコが盛夏に優先する。

日本のマツ林では主としてユーラシアの冷温帯に共通なキノコが出て,秋に多く出る。マツタケ Tricholoma matsutake は日本のマツ林に出る最もよく知られたキノコの一つである。日本人は古くから特にマツタケの香りを楽しんできた。

マツタケは中国,台湾,韓国にも分布している。マツタケの近縁種であるオウシュウマツタケ Tricholoma caligatum はヨーロッパと北アフリカ(地中海沿岸諸国)に分布している。もう一つの近縁種である アメリカマツタケ T. ponderosum は北米に分布する。日本人は古くから使われてきた薪から天然ガスに転換するという,日本人の生活スタイルの劇的な変化によってもたらされた森林管理の変化のために,日本におけるマツタケの生産は 1960年 - 70年に減少した。近年,マツ林は次第にシイやカシの常緑広葉樹林のような遷移後期の森林へ移行しつつあり,また落葉広葉樹からなる里山林は常緑広葉樹林や竹林などに置き換わっている。結果的に1945 年から1960年にかけては年 5,000トンあったマツタケ生産は,この20年間に年 500トン以下に減ってしまった。

最近,マツタケとその近縁種が世界中から輸入されている。1992年にはマツタケとその近縁種は生鮮,冷凍を含めて年 2,244トンが11カ国(韓国,北朝鮮,マレーシア,ブータン,スペイン,カナダ,アメリカ,メキシコ,モロッコ,アルジェリア)から輸入され,総額は 184億円(1億8千400万ドル)に達した。

シイタケ Lentinula edodes は 17 世紀に常緑広葉樹林帯にあった九州や伊豆半島で始まった。種駒を使う新しい栽培方法が 1942年に始まった。シイタケ栽培は北日本にまで広がった。そしてポリプロピレンのプラスチック袋を使ったもう一つの方法が,シイタケ栽培の新しい工業を可能にしている。

農民が里山地区でシイタケ栽培を始めたとき,九州地区ではシイタケ以外の野生のキノコにしばしば興味を示さなくなった(京大の相良博士の私信)。

昔から日本人は多くの種類のキノコをとってきた。そして今でもキノコ刈りは,中部地方から北日本では,最も楽しいリクリエーションのひとつである。秋の週末にはクリやナラの落葉性の森林に行く。マイタケ Grifola frondosa ,ナメコ Pholiota nameko ,カワムラフウセンタケ Cortinarius praestans ,チチアワタケ Suillus granulatus ,アメダケBoletus bovinus ナラタケ Armillaria mellea など20種以上の野生のキノコが北日本の市場で売られている。

西日本に住む人たちはマツタケとシイタケ以外のキノコを好まない。毒キノコによる中毒患者数は西日本に少なく,北日本に多い。キノコ消費と中毒患者数の間には正の相関がある。

里山になにが起きたか−里山を保全するための我々の提案−

吉津耕一
只見木材加工協同組合

  1. 「たもかく」の紹介と里山を活かした手作りのリゾート
    1. 地元製材協同組合→民家の再生→新築民家→里山利用
    2. 都会の資金を田舎が利用し,田舎の空間を都会の人が利用する
    3. 森と本の交換 - 都会で持て余しているものを田舎で利用する - 交流のきっかけ
  2. 手作りのリゾートの内容
    1. 民家の再生と森の利用の変化
      現在は人工林で30-40年できってしまうが,伝統的な民家の構造材は100年以上の木を使う
    2. 緑の株主の募集:都会の人に株主になってもらって金と口を出してもらう。現在488。
      2億円を集めて110町歩所有している。入会権付き。
    3. ナチュラルトラスト→雑木林を20年の管理料込みで販売する。入会権付き。50万円で300坪。分収型ではなく終身型。また,1坪単位で小口化して気軽に買ってもらっている。
    4. グリーンパスポート,ビザを5年5万円,1年1万円で110町歩の山の入会権を利用できる他,民宿,食堂,イベントが利用できる。
  3. なぜこのようなことを考えたか。
    1. 林業は20年以上たたないと収入にならないといわれるが,都会の資金を利用することにより木材を生産できなくても収入になる。
    2. 雑木林を切って普通人工林にしてしまうが,雑木林の山が山菜やキノコなどの生産,リゾートとしての利用を考えると,手間がかからず生産性が高い。
    3. かつての集落の共同所有の山を40年代の入会林整備事業で個人所有に分けてしまったが,山は集団所有,集団利用の法が効率よく管理・利用できる。
    4. 都会の資金を使って有給山林を購入することにより農村の慢性的な資金不足,経済活力の不足を補うことができる。農林業の活性化を図ることができる。
    5. 個人所有の山を買い上げて株式会社で集団利用することにより,大面積の計画的な利用が可能になる。また,所有権,利用権を分離して小口販売することにより,多くの資金とお客を集めることができる。
  4. 里山を管理・利用することによりなにが変わったか。
    1. 下草を刈ることでズックで山に入れるようになった。ツルや草が刈られることによって,ユリ科の植物(カタクリ,ササユリなど)やワラビ,シオデなどが多くなり,景観がよくなり,山菜の収量も上がった。
    2. 樹木の成長が著しく早くなり,森の中が明るく,広くなり,利用しやすくなった。間伐材でキノコのホダ木や薪を生産できるようになった。
    3. 林道の荒廃が止まり,「たもかく」の入会地だけでなく周辺の山林の手入れも進むようになった。
    4. 地元の人たちが山の価値を見直すようになった。

里山保全における森林組合の役割

氏原 修
高槻森林組合

里山は,戦前には木材,薪,木炭などの生産のために維持管理されてきた。しかし,戦後森林に対する社会的要求は10〜15年ごとにめまぐるしく変わった。大規模な伐採と人工林化の時代,70年代のゴルフ場や住宅地に転用された時代(湖の時代に高槻市でも6000ha から5000ha に森林面積が減った),80年代のリクリエーション事業が重視された時代,90代の良質な森林に対する要求が高まり複層林施業などが行われた時代といった変遷をたどった。21世紀には自然保護論争が盛んになり,林業と環境との関係が問われる時代になるだろう。

<誰が里山を守るのか>

林家が守ることは経営的に難しい。地方自治体が守ることも難しいので,技術を持っているいるだけではなく地方自治体にも近い関係にある森林組合が助成を受けながら守るのが最もいい。

ここで,行政,市民,森林所有者,森林組合の役割分担についてのべる。

1)行政:財政的支援。高槻市では6億円の基金で森林銀行制度があり,林家に財政的支援をするだけでなく,開発業者に林地が売却されないような斡旋も行っている。2)市民:森林を守るための精神的な支援。3)森林所有者:森林を長期に所有する。4)森林組合:都市からの若い人たちの導入(近年高槻市では40名の新規雇用を行った)や作業員を森林林業士と呼称を変えるなどして森林労働者の活性化を行うとともに技術の継承を行う。

里山の維持に最も適しているのは,木炭生産である。そこで外国産の木炭にも価格面で対抗できる木炭生産を可能にする,大規模ハイテク炭焼きの技術を開発して,里山に炭焼きの復活をめざしている。

<ポスターセッション>

東アジアにおける林地荒廃の発生−その時代・原因・今後の課題−

千葉徳爾
千葉県立中央博物館

1954年から1988年にわたって,日本列島及び朝鮮半島,中国中・南部各地にわたる山林荒廃と土壌侵食について,その形成時期と原因との調査・研究にしたがった。以下にその要旨を記述する。

朝鮮半島及び中国各地については,1960年代まで実地の観察・調査の便宜がえられなかったので,資料は大半1930年から1945年の文献に依存して報告する結果となった。その大要はつぎのようにまとめられる。

この地域では,日本列島の場合に比較して自然的要素,ことに気候条件が植生に対して必ずしも良好な再生の可能性を与えない。加えて古代から人口が密で,林野生産物を過度に採取しがちであった。その結果,林地植生は再生困難で土壌は加速侵食におちいりやすく,痩薄であって管理不良な場合は容易に荒廃しはげ山化する。朝鮮半島では李朝末期から急速にそれが進み,ことに日本の植民地化以後激化したと認められる。この地域の南部では朝鮮戦争後,ニセアカシアの播種と燃料革命の進行により植生の回復が著しいが,今後の森林管理と林野生産物の利用方式は,自然保護上の課題であろう。

他方中国では,古くから林地が荒廃していたと考えられ,その主要原因として黄土の存在という地質条件が考えられて来たが,近年の研究によれば朝鮮半島に類似し比較的あたらしい時期に発達したもので,それが激しくなって景観上著しい変化が認められるようになったのは,18世紀頃からとみなされる。いうまでもなく,記録によれば揚子江上流の原生林は15世紀頃から,漸次破壊され,林地が縮小したといわれ,建築材としての用途が多かったという。しかしながら,それが荒廃して土砂流失が各地に多発するようになった主因は,清朝以来多発した宗教的叛乱に伴って,山地に逃亡する流民が山林を無計画に利用し破壊した結果といってよい。その事実はこの時代の各省,各県,ことに中国中南部の方志の中に記述されていることによって明らかである。

ことに従来は平坦地に水稲作をおこなっていた漢民族の農民は,山地に入って林地を利用する場合にも,その農法に従って新来の作物である玉蜀黍を主とした粗放経営を行い,収穫が減ずると放棄して他に移動することが多く土壌の流亡,野獣ことに狼群の横行,などが在来住民を悩ました。この点で少数民族のヤオ・苗・シャアなどの農法ではそのような林野の荒廃がほとんど発生しない点に注意しなくてはならない。それは林地・土壌の管理方法の違いによることを,著者は雲南・貴州地方で1970〜80年代に観察している。これらは過去の国内政治の失策に基づくと判断して差し支えないであろう。近年のこの地域の造林が,過度にユーカリ・茶・芭蕉など地表を被覆しない樹種を採用している点で,再考の余地があるように考える。詳細は私の「増補改訂 はげ山の研究」(1991)を参照されたい。(図省略)

里山のアリ相の特徴(抜粋)

小野山敬一
帯広畜産大学

  1. 植生のモザイク構造:小面積に豊富な種数(42種・10ha)−京都府の全種数の50%
  2. 稀産種の発見:Discothyrea sauteri, Monomorium triviale*, Pentastruma canina, Epitritus hexmerus*, E. hirashimai*
    *: 京都府新発見。
  3. コナラ林:北方性シベリアカタアリ(Dolichoderus sibiricus)
    タケ林:南方性のアリ: Epitritus hexmerus, E. hirashimai

南山城地域における竹林の拡大

鳥居厚志
農林水産省森林総合研究所関西支所

南山城の田辺町周辺は以前は養蚕の盛んな地域であったが,明治以降養蚕をやめて桑畑を柿園や竹林に転換した。竹林の面積はあまり多くはなかったが,近年,竹林の管理を放棄する農家が多くなって竹林の拡大が始まった。

里山の林が著しく単純な森林構造をもった竹林によって置き換えられている。竹林の種構成もきわめて単純で,里山の豊かな自然が失われている。里山の保全の観点からも竹林の拡大は重大な問題である。ここでは1953年以降の航空写真を用いて竹林の拡大過程について報告する。

図1は調査地域の京都府綴喜郡田辺町と京都府相楽郡山城町の位置と地形を示している。(図省略)

図2(種略)と図3は,それぞれ田辺町と山城町における経年的な竹林の分布を示している。両方の地域において1953年から1975年にかけて,竹林のパッチ数が増えている。しかし,1975年から1985年にかけては明らかに竹林のそれぞれのパッチの面積が拡大している。

表1(省略)は両地域における総竹林面積を示している。

1953年から1975年にかけての竹林の拡大は,タケノコ生産のために竹林が造成されたと考えているが,1975年から1985年にかけての竹林の拡大は放棄された竹林の自然拡大だと考えている。

<公開講演会>

S.B.マッラ博士(前ネパール森林省薬草局長・現非木材森林資源コンサルタント)

世界の屋根ヒマラヤの自然とそこに暮らす人々の暮らしにふれながら,荒廃するネパールの里山について講演した。

田端英雄(京都大学生態学研究センター)

日本の里山の歴史,里山の生態学についてふれながら,里山の調査結果をふまえて里山の保全について講演した。


1994年度里山研究会会計報告

収入支出
前年度から繰り越し136099 来年度へ繰り越し158424
郵便貯金利子325
カンパ22000
合計158424 合計158424

1994年度は,講演会費・ニュースレター発行費などは全労済の助成金などで賄いました。いただきましたカンパは今年度以降の活動のための基金とさせていただくこととしました。よろしくご了承をお願いいたします。

編集後記

昨年12月に行われた里山国際セミナーの報告がたいへん遅れたことを深くお詫びいたします。里山研究会の力量の問題であると深く反省しています。今後はまた活動を軌道にのせたいと思っています。

この10月に韓国の里山と日本の里山の比較のために,京都の里山研究会のメンバー4名で韓国に行って来ました。その報告も掲載したいと思います。(田端)