中国里山紀行(3)

—中国東北部の里山利用をみる—粉炭の製造から考える

田端英雄

ヤママユ飼養ナラ林への旅

1996年8月16日夕方,私たちのジープは瀋陽に入り,私の泊まっているホテル遼寧賓館の前で明朝の再会を約束して,南さん,布さんと別れた. 部屋に入ってベッドの上に大の字になって寝ころびながら,何と興奮の3日間であったことかと思った. しかし,一方で実に能率よくいろいろな植生に出会い,いろいろなものを観察したが,もっとゆっくり見たいところを我慢して急いで歩いてきたが惜しいことをしたなあという感じもして,次はもう少しゆとりのある旅をしたいなどと考えていた. 結論的には,ずいぶん疲れもしたが,それ以上にこの旅はすばらしかったという満足感の方が強かった. それに今までの中国の旅には何か遠慮というものがつきまとっていて,本心を語れないというわだかまりがあった. しかし,今回,南さんと何の遠慮もなしにいろいろ話すことができたことが何よりもすばらしかった. ソウルオリンピックの直後に韓国に調査で出かけた折に,内務省の役人である国立公園の管理事務所長の鄭学朝さんが,終戦以来使ったことがなかったという礼儀正しい日本語で迎えてくれて,オリンピックを機に広がった韓国のソフトな雰囲気を歓迎するとともに,韓国と日本が仲良くしないといけないと熱を込めて話されたのに,私はいたく感動したけれど,南さんにも同じような感動をうけた. 終戦以来話したことのないということの意味することに,鄭さんの深い悩みを知る思いであった. あまり追究しなかったが,苦しい経験がそこにはあるのだろうと思ったが,なによりも40年以上も話さなかった日本語で日朝の友好についての彼の考えを熱を込めて立派に話されたことに感銘をうけた. 南さんの日本語はもっと立派で,しかも現代の日本語についてもかなりの知識をお持ちなのが驚きであった. すごいことであると感動もし,驚きもした. ちなみに南さんは朝鮮族で,おそらく日本からも,中国からも差別をうけたことだろうが,そのことをおくびにも出されなかったばかりか,南さんの私にたいする態度は,あたかも中国に帰化した日本人が日本からやってきた後輩の世話を焼くような趣さえあって,いたく感激した.

あくる朝,8時にホテルを出発した. 昨日までの南さん,布さんの他に瀋陽応用生態研究所の楊思河 (ヤン・スーフー) さんが同行してくれる. 楊さんはヤママユを飼養する落葉性ナラ林の研究者である. つまり,今日と明日は中国東北部の里山紀行なのである. といっても遼寧省内であるが,内蒙古行きには瀋陽から北に向かったが,今日は南に向かう. 1994年に京都の京北町で開催した里山の国際シンポジウムに招待した肖篤寧 (シャオ・ドゥニン) さんが,発表してくれたヤママユを飼養する落葉性ナラ林を見に行きたいと希望して今それが実現しつつあるというわけである. そのとき肖さんからもらった論文の著者が楊さんであったので,昔なじみのような感じがしてすぐに親しくなった. 楊さんは英語が話せるので英語で話すことが多くなった. 南さんは英語が駄目だから私は忙しくなる. 楊さんと話した内容を南さんに日本語で話したり,南さんと日本語で話した内容を英語で楊さんに話す必要があった. 同じように,楊さんも南さんと中国語で話したことを私に英語で伝えるという具合に忙しくなった. 本来なら,私が中国語で話すべきなのだが,わたしの中国語では役に立たないのが悔やまれた. 楊さんは実に人なつこい人で,気さくである. 結構気軽に「これ英語で何というのかなあ」などといって質問してくる.

高速道路を走っていた車は,40分ほどで高速道路を出て本渓の町に入った. 昔の製鉄所の町である. 赤紫色の露頭が道路沿いに見える. 高速道路に沿ってはマメ科の複葉の低木 Amorpha fruticosa が植えられていた. 南さんは日本からの植物だといっていたが,日本でこんな変な植物を見たことがないなどと話しながら車は本渓の町に入る. 余談であるが,この後,長白山 (日本名も朝鮮名も白頭山) に登るために中国側の麓の白河 (パイフー) へ行った. ここでまったく予期しなかったことだが,偶然にも,白河 (パイフー) にある中国科学院のステーションで,私はメタセコイアの発見者である86歳の王戦さんに出会うことになる. その王さんによれば, Amorpha はアメリカの植物だとのことであった.

さて本渓の町に入ると街路樹は,白楊 Populus とニセアカシア Robinia である. Robinia は街路樹だけでなくあちこちに植林してある. 標高 240〜260m であるが,グイマツ Larix gmelini の植林も多い. 尾根には Pinus tabulaeformis (油松) が生育しているのが見える. まれに Larix olgensis の自生も見られる (私の野帳にはこう書いてあるのだが,やや怪しい気もする). 南さんの話によると,このあたりのマツは油松で,アカマツ Pinus densiflora は遼東半島と鴻緑江中流域までしか分布していないという.

しばらくすると車は南芬 (ナンフン) の町に入る. この町にはマグネシウムの工場があって,鉱滓を斜面中腹の池に流し込んでいて,鉱滓処理にたいへん問題がありそうで,とんでもないものを見てしまったという感じがした. 道路沿いにはホザキナナカマド Sorbaria sorbifolia の白い花がめだつ. この植物は日本からヒマラヤまで分布している. ヒマラヤと中国東北部や蒙古などとの植物地理学的なつながりを連想させる. しばらくすると草荷口 (ジャオフーコウ) を通る. ここは日本時代 (つまり満州時代) に植えられたチョウセンゴヨウ Pinus koraiensis の植栽林があるので有名だという. そして10時半頃に鳳城 (フェンチョン) 市についた. 目指すヤママユ飼養ナラ林はフンチョン郊外にあった.

まわりの山はどこもかしこも低木のナラ林で覆われているので,これは何の林かと尋ねると,楊さんがこれが目指す林だと答える. 私は見渡す限り続く同じ型の植生に半信半疑であった. 私は車を止めて林を見たいので止めてくれというのだが,楊さんがもう少し先まで行こうなどという. 変な会話を交わしながら車は丘陵を土煙をあげながら上りだした. そしてとある中腹の林のそばで車が止まった.

楊さんの説明をかいつまんで伝えよう. 日本のヤママユ (天蚕) は Antheraea yamamai だが,中国のは柞蚕 A. pernyi で,英語ではtussah (タッサー) という. このナラ林は1齢のカイコを放つクヌ ギ Quercus accutissima だけからなる nursery と,その周辺に広がるミズナラ Q. mongolica,カシワ Q. dentata,ナラガシワ Q. aliena,リョウトウナラ Q. liaotungensisQ. accutisima などが混交する樹高 2.5m から 3m のナラ林である. nursary のクヌギは凹地つまり谷筋に植栽してつくるという. 近づくとクヌギの葉はかなり食べられていて,枝によっては丸坊主である. 緑色をしたヤママユがもりもり葉を食べていたり,横では身動きせずに休眠しているものもいる. しかも中にはミカン色の派手な色をしたものもいて,鳥による捕食を心配したが,楊さんに聞くのを忘れてしまった. この地域ではこれらのナラ類は8月に光合成がピークになるので,そのピークを過ぎた頃に1齢のカイコが孵るようにして,10月までの間で繭の収穫をするという. カイコの密度は,1齢の幼虫は1本の木あたり100〜200個体,2齢の幼虫は70個体,3齢は50個体,4齢で35個体,5齢で11個体くらいになるらしい. 10月の収穫時の収量は繭で普通 7〜8kg/ha 程度,高収量を目指すために階段型に仕立てたナラ林で約 10kg/ha らしい. 繭は 80元/kg で売れるという. 階段状のナラ林の仕立て方というのは,高さが1m以下のところと高さが1.5mのところが交互にできるようにする管理方法だが,階段型の方が2〜3割がた繭の収量が多くなるとのことである. 楊さんが推賞する管理方法である.この林はどの方位の斜面でもできるが,もっともいいのは南ないし南東方向であると,楊さんはいっていた. そして3年間カイコを飼養した後,萌芽条を伐って燃料にする. この地方の農家の庭には,どこにも伐った萌芽条がうずたかく積まれていた. 薪というよりも柴である. 楊さんは4年毎に伐ることをすすめているが,農民は4年待てずに3年で伐ってしまうといってぼやいていた. 楊さんは繭の生産が最大になるように4年ごとの萌芽条伐採を勧めているわけだが,たぶん燃料の消費量を考えると4年は待てないのではないかと思う. 利用形態は違うが,これはまさに里山林の持続的利用法として,中国の誇るべき里山文化だと感心させられた. しかし,この林はウルシに弱い私にとっていやな林でもあった. あちこちにヌルデに似た Rhus chinensis がはえていたからである. そしていたるところに Corylus heterophylla ハシバミが生えていた.

ここで私は,中国植生図に関する長年の疑問を解決することができた. 「中国植被」の植生図を開くと,遼寧省のあたりには理解に苦しむ植生が実に広く分布している. それはハシバミ・胡枝子・蒙古檪潅叢である. まずモウコナラが潅木であるはずがない. そして次に,ハシバミ Corylus heterophylla が林床性でない限り,こんな植生はありえないが,ハシバミが林床性であるとは考えにくい. いったいどんな植生なのかというのが,私の長年の疑問であった. それがこの時わかったのである. それはまさにヤママユを飼養しているナラ林であったのだ. つまり,ヤママユ飼養のナラ林は,萌芽低木林で,その萌芽条の葉をヤママユが食べるので,せいぜい樹高は 3m 程度であって,ナラの間にハシバミや胡枝子 Lespedeza bicolor (ヤマハギの仲間) が生育している. つまり経済植物であるハシバミを除去しないで残しているのだ. ハシバミ・胡枝子・蒙古檪潅叢というわけである. そして見まわせば,周りはすべてこの林である. みわたす限りこの林である. シャオさんが報告したときにその面積についても話したように思ったが,実感として理解できなかったが,今,その面積を実感することができた. 果てしなく続いている. その面積50万ヘクタール. この林にあった植物は,キンミズヒキ Agrimonia pilosa,ワレモコウ Sanguisorba officinale,カワラサイコ Potentilla chinensis,オトコヨモギ Artemisia japonica,オオダイコンソウ Geum aleppicum など,日本でお馴染みの植物たちであった.

鳳城に引き返して遅い昼食をとることになった. ここでは楊さんがとりしきってくれた. 彼は食堂に入るなり色々注文をした. 最初に出てきたのが,大皿に山のように盛られたヤママユのサナギであった. ゆでてあるらしい. さっそく楊さんはぱくつきながらおいしいからどうぞとすすめてくれる. 4cmから5cmはある大きなサナギである. 少し躊躇していると,楊さんがどうぞどうぞとすすめてくる. 見ると布さんはまったく手を付けない. 客人であることがなんとも都合が悪いのはこんな時である. 勇気を出して口に入れて噛んでみた. あるところまで噛むと突然革が破れてサナギの内臓がブチュッと勢いよく口の中に出てきた. 味はやや甘味があって悪くはないが,ブチュッと口の中に出てくるのがなんとも気持ちが悪い. 楊さんは,どうぞどうぞといいながら,次々とぺしゃんこになったサナギの皮を口から出しながら,もりもり食べている. 食べているうちにまあまあいけるなと思えるようにはなったが,好きになったというには程遠い. そのうちに他の料理が運ばれてきて,救われた. 後で布さんに聞いたところ,サナギは嫌いだから食べないといっていた.

鳳凰山の植生

鳳城賓館で一夜を過ごして,この地域の自然林を見るために保護地に指定されている鳳凰山に行くことにした. 海抜 40m の鳳城から海抜 280m の鳳凰山入り口まで自動車で行き,ここに駐車して,鳳凰山に登り始めた. 歩き始めたが次々にいろんな植物が出てくるのでまったく進まない. 手が届くところにリョウトウナラ Quercus liaotungensis とナラガシワ Q. aliena の穀斗がある. 採集はいけないのだが,4人とも植物学の研究者だから少しならよかろうと全員の了解のもとに,穀斗をとって比較をする. すると,楊さんが,国家級の保護地域に指定されている大青洶 (中国里山紀行(1)参照) から採ってきたという Quercus mongolico-serrata の穀斗をポケットから取り出した. あちこちで同じことをやっているのだなというわけで,みんなで大笑いをした. そんなわけで大青洶からのものを含めて3種の穀斗の写真を撮ったり,生態の比較などについて話ながら歩く. 谷沿いには Juglans mandshurica (オニグルミの仲間), Fraxinus mandshurica (シオジの仲間), Pyrus usurensis (野生のナシ), Fraxinus rhynchophylla (シオジの仲間), Acer sieboldiana (ヤマモミジ) などが林を作っている. 葉の裏に毛がない Tilia amurensis (シナノキの仲間) もある. エンジュ Maackia amurensis もこの林の構成メンバーである. キケマンに似た Corydalis turtshaninovii も谷筋に花をつけている. 320mまで登ると少し違ったものが出てくるようになる. 谷筋からすこし斜面を上がったといったところであるが,サワシバ Carpinus cordata が非常に多い. オヒョウ Ulmus laciniata,オオバボダイジュ Tilia mandshurica や葉に切れ込みのある Tilia amurensis var. tricuspidata,アズキナシ Sorbus alnifolia などが高木層にあり,林床には Viburnum sargentisSorbaria sorbifolia,ウリノキ Alangium platanifolia などがある. 道沿いに Filadelphus pekinensis (バイカウツギの仲間), Corylus mandshurica (ハシバミの仲間) ,ノブキ Adenocaulon himalaicum などがみられる. 430m あたりになると,コオノオレ Betula schmidtii が出てくるので表土が浅くなってやや乾燥してくるらしい. ミズキ Cornus controversa もちらほらある. Acer mono が多く見られるようになる. 道沿いには, Rubus crataegifolia (キイチゴの仲間) や Weigela sp. (ヤブウツギなどの仲間) などがあり,林床にはオオバオオヤマレンゲ Magnolia sieboldiana がある. 花期を過ぎていたので花はわからないが,日本のオオヤマレンゲより葉が大きい. 林の印象は,景観的には日本のコナラからなる里山林に似ているが,構成種からみると明らかに北海道の林に似ている.

とても頂上へ行く時間がなくなって, 450m のところから下りることにした. 上に行くにしたがって,切り立った花こう岩の露頭が出てくる. 中国の人たちが,立ち止まり立ち止まり話す変な私たち4人組を,何をする人たちなのかと横目でみながら足早に上にあるお寺に向かって通り過ぎていった.

瀋陽への帰り道,オミナエシ Patrinia scabisaefolia が道端にたくさん黄色の花を咲かせていて,昔の日本の田舎道を走っているようであった.

(完)