<転載>

里山をどうする

田端英雄

2003年、岐阜新聞に「里山をどうする」と題して連載したので、ここに転載します。

(1) 姿を消した生き物たち

「里山」という言葉が最近よく使われるようになってきた。響きもいいし、昔のふる里の景観を彷彿とさせる郷愁もあって、「里山」という言葉が使われているように思われる。しかし、里山とはどんな自然なのか。

このところ、身近な植物や動物が姿を消したり、数を減らしている。昔はよく見かけたキキョウがめっきり少なくなって、絶滅が心配される植物の仲間入りをしてしまった。オミナエシやワレモコウも減った。センブリなども減っている。秋の七草の一つ、フジバカマはあちこちで絶滅している。岐阜にはまだあるようだが、例えば京都府では絶滅してしまった。リンドウも減ってきた。日本の高等植物約5300種のうち1/4もが絶滅が心配される植物の仲間入りしている。植物が数を減らすと、植物を食物として利用している動物に影響が出てくる。チョウが目立って数を減らしている。例えば、近年、シバ草地やカヤ場が減ったために、そこに生育していたクララが減り、クララを食草とするオオルリシジミが激減してしまった。山は緑濃い森林でおおわれていて、豊かな自然が身の回りにあると多くの人たちが考えていると思うが、実は身近な自然は意外にも荒れ果てている。かつて薪炭を生産したり柴かりをした裏山の林へいってみると、林の中に入るのも難しいくらいにササや低木が茂っている。昔のように歩きやすい林はほとんどなくなってしまった。

ため池にすむ水生昆虫が、夏場に池から田んぼへ移り住んで繁殖活動をして、秋口にまたため池に戻ってくることがわかってきた。ニホンノウサギも林と林に隣接する田んぼの畦やため池の土手を利用している。水さえあればいいと考えていたニホンイシガメですら、林を必要としていたり、産卵場所が田んぼの畦だったり、田植え後の田んぼで子ガメが育つということがわかってさた。数を減らしている植物の多くも、田んぼから明るい林にかけて生活していた里山の「住人」であった。

身近な生き物たちは、林と田んぼをともに利用しながら生活を成り立たせていることがわかってきた。薪炭林や粗朶山、あるいはマツタケ山として利用してきた林業的自然と、田んぼやため池などからなる農業的自然は、生き物にとってセットになった自然だったのである。このセットになった自然を、「里山」と呼ぶことにした。里山の新しい定義である。

今、この里山が荒れているのだ、昔の薪炭林も伐らないので、どこもかしこも似た林になってしまい、すみ場所の多様性が失われて、生き物にとっては住みにくくなってしまった。田んぼや畦からも、減反や構造改善事業で生き物が姿を消している。

里山とその現状をこのようにとらえてみると、農業や林業が姿を変える中で起きた里山の構造的な変化によって、いろいろな身近な生き物が「すみ場所」を失い姿を消していることがわかってきた。だから、農業や林業を見直すことによってしか、荒れた里山の自然は救えない。

(岐阜新聞2003年1月5日掲載)

(2) 生物の生活を知る

生物が里山をどう利用しているかについて、少し詳しく見てみよう。田んぼは栄養豊かな環境で、多くの動物が田んぼで繁殖する。田んぼに水が張られると、カスミサンショウウオのような低水温で産卵し、田植え前に田んぼを出て行く連中がやってくる。田植えがすむと乱るんだ水に産卵するナマズ、コイ、フナ、ドジョウなどがやってくる。どれも田んぼで大きくなる。メダカも水路で冬を越し、この時期に田んぼにやってきて子育てをする。水路(排水路)と田んぼの間に大きな落差ができると、ナマズは遡上できても、メダカは遡上できない。その上、水路もコンクリート三面張りになり生物がすめる環境がなくなって、多くの生き物が打撃を受けた。ダルマガエルでさえ、落差が大きいと水路から田んぼへ移動できない。

このように見てくると、「メダカ池」ではメダカをほんとうには守ることにはならないことがわかる。メダカだけが問題なのではなくて、水路や田んぼにすむ生物全体が困難に直面しているのだから、田んぼや水路を生き物がすめるように変えないといけない。それがビオトープの復元である。

田んぼの畦は、畦塗りをする面、平坦面と法面からなる。平坦面と法面では草刈りの回数が違う。当然、生育する植物が違う。畦塗り面には…年生植物が、平坦面には刈り取りや踏みつけに強い植物が生育する。背が高いワレモコウ、オミナエシ、キキョウ、リンドウなどは法面の植物である。

ところが近隼こういった里山の植物が数を減らしている。草地が減った上に、柴が刈られて明るい林床の里山林から、里山林と田んぼの間の里草地=草生ともいう=にかけての環境が管理放棄で姿を変えたためである。本来の生育場所が、田んぼや住宅地になり、人手が加わった環境でようやく生きてきた植物なので、管理放棄されると生育場所がなくなってしまうのだ。そしてキキョウは絶滅危惧種に仲間入りしてしまった。ギフチョウが減っているのも、里山林の林床が茂って食草のカンアオイ類が減ったためである。私の話を聞いた上石津町の大嶽文夫さんから手紙が来た。「大事にさえすれば植物は増えると考えていたが、どうも勘違いしていた。カキラン、リンドウ、センブリなどが自生する長年放置されて茂った草生を友人が刈り取った。折からの日照り続きでこれらの植物の全滅を心配したが、花期には今まで見たことがないほどりっぱに花をつけた。ササユリが定期的に刈られる高圧電線の下に生き残っているのもいい例です」とあった。

こういった知恵を生かして、里山をどうするかを考えるのだが、時間はあまり残されていない。

(岐阜新聞2003年2月2日掲載)

(3) 再生のための前提

「里山をどうする」というテーマでこれから具体的な各論に入る前に、その導入として二回にわたって書いてきたことを整理しておこう。

生き物の生活を調べることによって、林業的自然と農業的自然とからなる「里山」という自然が見えてきたということが大切である。これが新しい里山の定義でもある。しかも、里山は、里山林、里草地、ため池、用水路、田んぼ、田んぼの畦といった構造を持っていることがわかってきた。田んぼの畦は、「畦塗りをする面」「平坦面」「法面」といったさらに細かい構造を持っている。こういった自然の構造が、生物の生活の場となっている。

ここで、私がスギやヒノキの人工林を里山の自然に含めない理由を書いておこう。身の回りを見渡すと人工林がかならず目に入ってくるが、人工林はスギやヒノキの収穫のために他の生き物の生活を犠牲にして作り上げた特別な生物群集なので、この自然を扱うには里山林とは違った原理を必要とするからである。第二の大切な点は、里山にすむ多くの生き物が急速に数を減らしたり、絶滅の危機にさらされていたりすることに見られるように、里山の自然が荒廃していることである。しかも、絶滅が心配されている生物の仲間入りしたメダカやキキョウなどの個々の生物が問題なのではなく、里山にすむ生物の総体、つまり生物群集を構成する生き物の生物学的あるいは生態学的関係が壊れつつあることが問題なのである。

第三の大切な点は、里山の構造的な変化が起き、そこに住む生き物が困難に直面する里山の荒廃は、農業や林業が変貌する中で起きたということである。薪炭を生産していたときには、里山林は年々伐られて、異なった環境条件を持つ異なった林齢の林分がモザイク状に配置された構造を持っていた。伐って利用されることによって、里山林は生き物に多様なすみ場所を提供していた。今、伐られなくなったことによってどこも同じような林になってしまい、すみ場所の多様性を失い、結果として生物の多様性を失いつつある。

中山間地の農地が減反で耕作放棄されると、里山林に隣接する里草地や畦や用水路も姿を変え、里山の生物は生活しにくくなった。さらに、農業構造改善事業が、平坦地の田んぼの畦を壊し、生物が田んぼと用水路・排水路との間を行き来できなくしてしてしまった。

「里山をどうするか」は、ここでまとめた里山全体の構造やそこに住む生き物全体に目配りをした、総合的な「生物のすみ場所」つまり「ビオトープ」の復元だといってもいい。今、管理放棄されている里山を、昔のように使う新しい農業・林業を実現できれば、里山の再生はできそうである。

(岐阜新聞2003年3月2日掲載)

(4) 粗朶(そだ)を生かす

今月から、里山を荒廃から救う具体的な話を進めよう。

岐阜には、若い落葉広葉樹林が多い。しかも、あちこちで伐られている。炭も焼かないのになぜだろうと考えていたある日、粗朶(そだ)が積まれた現場を見つけた。里山林が使われている!私はとてもうれしかった。4年前、本巣町の井納一雄さんと出会った時のことが思い出された。私は里山を再生するために粗朶を見直したいと話していた。昔の柴刈りに代わって、低木や枝を利用するには、粗朶が最も適していると考えたからである。すると、井納さんが、私は粗朶を使っているといわれた。粗朶の技術は、信濃川流域のものだと思っていたので、岐阜に粗朶を作る技術や粗朶を使う技が残っているという井納さんの話に興奮してしまった。雨が降り、暗くなりかけていたにもかかわらず見せてもらった。そこには何百束もの粗朶が積まれていた。

粗朶とは、7–10年生くらいの広葉樹を伐って、長さ2.7mで周長67cmになるように束ねたものをいう。素性がよくてしなやかで2.7m以上あって2.7mのところで径が1cm以上あれば束ねて柵粗朶(しがらそだ)を作る。この粗柔を組み合わせて、護岸、河床の保護、法面保護、暗渠、海岸の離岸堤などに使う。粗朶沈床とか、栗石粗朶工(くりいしそだこう)粗架柵工(そだしがらこう)、柳枝工、連枝工などいろいろな工法がある。

日本の治山・治水の基礎を築いて、荒れ果てたはげ山を緑に変え、荒れ果てて洪水を繰り返した日本の川を甦らせたオランダ人技師デ・レイケが用いた技の一つが、粗朶と石を使って流れを緩やかにする水制だった。水制はまた生き物に豊かなすみ場所を作り出した。今に残る淀川の「ワンド」がそれである。彼が今の私たちに残した「川と共に生きる」知恵の遺産である。力ずくでねじ伏せるような治水でなく、粗柔を使って自然と折りあっていく、彼の残した知恵は百年たった今も生きている。評判の悪い河口堰とちがって、なんともしなやかな知恵である。そのデ・レイケと関係の深い岐阜で粗朶の技を生かして、山と川のつながりを、地域の木で地域の川を治めることで回復できないか。自然素材をつかった多自然型河川は評価されるようになるだろう。コンクリートの三面張りで生き物がいなくなった川を作ったのは私たちだから、私たちが川をよみがえらせないと、次の世代に負の遺産を残すことになる。水や生き物をとおした自然の循環を大切にすることが、「循環型社会」を作ることになる。粗朶を使った「循環型の治山・治水」が森林県岐阜でできないはずがない。そうすれば、岐阜の山はそれだけ生き返る。わずかでも雇用も増える。

(岐阜新聞2003年5月4日掲載)

(5) 炭で下水処理

里山を荒廃から救う具体的な手法として次に提案したいのは、炭の利用である。

里山は使われなくなって荒れてしまったが、里山林を伐って利用することができれば、里山林をよみがえらせることができる、と前に書いた。炭の生産は、何といっても里山利用の原点である。炭材(炭のする木)を15年から30年ごとに繰り返し収穫できるように里山林を管理する技術は、炭の生産によって確立したと言っていいからである。問題は燃料としての炭にはあまり未来はないので、炭を生産するために里山林を伐ることができないことである。そこで、炭を燃料としてではなく、別の用途に使うことを考えてみた。炭にはさまざまな優れた特性があり、燃料以外にも使われているが、まだ研究途上である。最近では、炭素は炭素繊維やナノテクノロジーで注目されている。しかし、すぐには里山林の利活用に役立ちそうにはない。そこで私は、一炭を屎尿や生活雑排水の浄化に使うことを提案したい。だれもが、下水道ができれば、水はきれいになると考えてはいないだろうか。ところが万能ではないのだ。東京の下水処理水は、飲料水を取水する金町浄水場の上流をさけて隣の中川や東京湾に近いところに流されている。琵琶湖岸の矢橋下水処理場からの処理水が瀬田川で流されるのも、処理水を琵琶湖に直接流せないからである。現在の下水処理水の排出基準をもっと厳格にしないと、下水処理が普及しても川は汚され続ける。

「泳げる川を取り戻す」にはどうすればいいか。1次・2次処理をする単独合併処理槽に、炭を使った3次処理槽を付け加えることによって、処理水を飲めるまで浄化できる。窒素もリンも2-3ppmである。炭を使った浄化槽をいち早く導入した福岡県久山町へ処理水を飲むために訪ねたことがある。生活環境課長の松尾さんが、湯飲みと柄杓を持って出迎えてくれる。

3次処理槽のところで、松尾さんがゴクゴクと処理水を飲み始めた。私も飲んでみた。京都の水道水よりもおいしかった。私は美濃の借家に炭を使った単独合併浄化槽を設置した。飲める処理水を流しているのは気分がいい。集中下水処理をできるだけ減らし、炭を使った合併浄化槽どうしたら増やすことができるか。下水道建設には膨大な税金が使われて、その起債による借金が地方自治体の財政を圧迫しているため、今多くの自治体が、下水道建設の見直しをはじめた。いいことである。秋田県は一部を浄化槽にすることで1千億円を超える節減になると試算している。優れた単独合併浄化槽で下水処理ができるようになったからである。

里山林をよみがえらせるためには、かつて薪炭を生産していたときと同じように伐って利用することが求められる。

里山林の管理技術は薪炭の生産をくりかえす中で確立されてきたという意味で、炭の生産は、何といっても里山利用の原点である。炭材(炭を焼く木)を15年から30年毎に繰り返しくりかえし収穫できるように里山林を管理する技術が、里山を再生可能な資源として利用可能にしている。今では燃料としての炭の市場はほとんどなくなってしまった。しかし、炭を燃料と考えなかったらどうだろう。

炭は酸素の供給を極端に少なくして高温で処理することによって植物の細胞の構造がそっくり残っていわゆる炭のもっとも特徴的な構造になる。いわゆる小さな部屋がかさなったハニカム構造である。小さな細胞の細胞膜が炭化してこのハニカム構造ができる。炭が吸湿や脱臭に使われるのはこの構造を炭が持っているからである。同じように、炭が水質の浄化に使われるのもこの構造が微生物の住む場所になるからである。

(岐阜新聞2003年6月1日掲載)

(6) マツタケ山をつくる

里山林をよみがえらせるには、マツタケ山を作るのも役に立つ。

岐阜県も滋賀県、京都府、兵庫県、岡山県、広島県などと並ぶマツタケの有名な産地の一つであった。上石津町でも、昔はマツタケが相当でたようである。おやつがわりにマツタケでも食べておけと言われたという話を聞いたことがある,

最近では国内産のマツタケは高価でなかなか口にすることができなくなったが、私たちはあの特有な香りと形に特別な思いがある。しかも、値段が高い。そこで私たちはマツタケ山を作るのも里山を生かすりっぱな林業だと考えて、県内でマツタケ山作りを始めた。

マツタケ山を作るには、まずマツタケの生物学を知る必要がある。マツタケは担子菌という菌類で、大部分のキノコを作る菌がこの仲間である。マツタケは菌の名前であってキノコの名前ではない。菌類は、落葉や落枝など生物の遺体をを分解して再び植物が養分として利用できるようにするから分解者と呼ばれ、自然界では大事な仕事をする生き物である。シイタケは木材を腐らせる腐生菌の一つで、マッシュルームは枯れ草などを分解する腐生菌の一種である。

ほとんどの植物は菌根とよばれる菌根菌が関わった特殊な根をもっていて、菌が落葉落枝を分解して養分を植物に提供する。一方、植物の方は光合成産物の糖類を菌に与える。マツタケはこの菌根菌の一つで、相手の植物が主にアカマツなのである。クロマツ、ハイマツ、ツガ、コメツガなどもマツタケの相手の植物になる。

マツタケはアカマツの細根に感染してその周辺に菌糸をのばしてシロとよばれる他の菌類や細菌などがほとんど生活できない場所をつくり、そのシロを年々広げていく。マツタケと呼ばれているキノコは、生殖のための胞子を作りその胞子を飛ばすマツタケ菌の子実体のことで、マツタケの傘の裏側にあるヒダの中に胞子ができる,この子実体はシロの縁に発生するので、来年は今年発生した場所のすぐ外側に発生する。シロが拡大するからである。このシロはマツタケが一種の抗生物質を出し他の微生物がシロの中に増えないようにするのだが、シロの中に落葉落枝が増えると様々な微生物が増えシロが壊される。最近マツタケが出なくなったのは、落葉かきをしなくなり、低木を柴として利用しなくなったために、林床に落葉落枝が増えシロが壊されたためである。だから、林床の落葉落枝を除き、低木を間引けば、マツタケの発生が回復する。少しでもマツタケが発生する15年生から50年生くらいの健康なアカマツ林があれば、手入れすることである。一町歩あたり数百万円もの収入が期待できる。りっぱな林業ではないか。

(岐阜新聞2003年7月6日掲載)

(7) 田んぼでBDFをつくる

里山を構成する田んぼや畑をどうするか。耕作放棄されると田んぼは荒れてしまう。山あいでは、すでにハンノキなどの林になってしまった田んぽもずいぶんある。耕作放棄すれば当然、畦の管理もできなくなる。田んぼを使うことによって、田んぼの自然を守るのが農業の姿だと思う。そのためにはどうすればいいのか。

とりあえず私の提案は、ナタネを栽培して田んぼを「油田」に変えることである。なぜそれで油田になるのか。これには少し説明が必要である。

どんな植物油でも、メチルアルコールと反応させるてメチルエステルにすることができる。このメチルエステルでディーゼル車を走らせることができる。軽油代替燃料なのでバイオディーゼル燃料(BDF)とよばれる,このバイオディーゼル燃料は、軽油と混ぜて使っても問題はない。もちろん燃やせば二酸化炭素は出るがすべて来年育つナタネが吸収してくれる。つまり二酸化炭素の環境に対する負荷ゼロである。そのうえ、排気ガスに含まれる微粒子(PM)が減るから、ディーゼル車のあの真っ黒な排気ガスがほとんど出なくなる。硫黄酸化物も激減する。排気ガスの、皮膚や目や呼吸器に対する生体毒性も、野生の生物に対する生態毒性も、軽油と比べると極端に低い。排気ガスに含まれるアルデハイドは少し増えることもあるので、これは除去装置で取ればいい。

ナタネは、北海道から沖縄まで栽培できる。現段階で、ナタネには10アール当たり43,000円の転作助成金が出るので、直接生産費、出荷経費など経営費を差し引いても、収穫が10アール当たり200kgこせば、所得が水稲をこえる。

ナタネ10kgから3.5kgつまり3.8リットルのナタネ油がとれる。このナタネ油から同量のバイオディーゼル燃料ができる。

田んぼを油田に変えるというのはこういうことである。化石燃料に変わる燃料を田んぼから作る。これは単なる二酸化炭素の排出削減にとどまらず、田んぼの生産力を維持し農業を守ることになり、さらにはオイルの安全保障にもなる。

静岡県では今年から、まとまったナタネ栽培に県独自の補助金10アール当たり50,000円を上積みすることを決めた。これは新たな動きになるかもしれない。

あちこちで廃食油のバイオディーゼル化が試みられているが、廃食油には限界がある。事業系廃食油の80%はすでに回収されているうえ、一般家庭からの廃食油には多く期待できない。家庭では油をつぎ足しながら使いきるほうが合理的だからである。廃食油に頼るのでなく、ナタネ油から直接バイオディーゼル燃料を作るのがいい。田んぼを油田にする必要があるというわけである。田んぼをまっ黄色にしたい。

(岐阜新聞2003年8月3日掲載)

(8) ペレットにして利用する

里山林を10年前後の間隔で伐採する粗朶利用や、炭を使う下水処理を提案するのも、利用することによって里山林を再生できるからである。同時にスギやヒノキを育てる「柱材の生産」に特化してしまった今の林業を見直して、もっと幅のある豊かな林業を取り戻そうという私の思いを込めた提案でもある。しかも、マツ林を除く里山林は、伐っても萌芽(切株から出る芽)によって自然に再生する,伐った後に植林しないと再生しないスギやヒノキの人工林とは、大きな違いがある。里山林が再生利用可能な資源である理由である。

マツタケ山の造成を提案するのも、マツタケ山からの収入はりっぱな林業収入であるからだ。しかし、これらは里山利用の序の口である。

炭や薪はエネルギー資源として使われていたのだから、昔と同じように里山林を使うには、里山林をエネルギー資源として使う道を探せばいい。それができるなら、異なった環境条件を持った林分がモザイクのように配置する里山林の構造を回復できると考えた。

そんな時に、私たちの里山研究会の研究会で、「炭を燃料に使うのも、木材で発電するのも同じだ」と発言したのが島根大学の小池浩一郎さんだった。彼の話で目から鱗が取れた。

今、私たちは里山林に眠るエネルギー資源を使わずに荒廃させ、輸入したオイルを使って地球環境を汚している。ふつう家庭で使われている開放型の石油ストーブは、いわば排気ガスで暖房をしている。化石燃料の燃焼による二酸化炭素の環境負荷だけでなく、健康的な住環境を手に入れるためにも家庭の暖房を 考え直す必要がある。

上石津町での私たちの調査資料によると、家庭で最も使用頻度の高いストーブの年間エネルギー使用量は、平均で約4,000kWhであった。暖房器具をペレットストーブ(熱効率73.4%)に代えると、ペレットが年に約1トン必要で、ペレット代は約3万円になる。開放型ストーブの石油代と比べると、ペレットの方が約1.7倍高いが、ペレットストーブと同じように煙突付きのポット式ストーブ(熱効率73%)と比べると、1.2倍になる。1.2倍を高いと考えるか、安いと考えるか。住環境が改善される。ペレットを燃やせば二酸化炭素は出るが、林が再生する過程で吸収されるので、二酸化炭素の環境負荷はゼロになる。しかも里山林は使うことによって甦る。

35年生のコナラ林が35ヘクタールあれば、120戸分のペレットを持続的に供給できる。製材廃材や林地に残される残材や間伐材も利用すれば、ペレットのコストを安くできる。1日も早く里山林を利用したペレット生産プラントを稼働させたい。

(岐阜新聞2003年9月7日掲載)

(9) ボイラーでペレットを使う

今年の夏、私は北欧三国を訪ねた。バイオエネルギーの国際学会に出席して最新の事情を勉強するのも 目的の一つだったが、ペレットに関する調査が主な目的であった。

ペレットを家庭で暖房用の燃料として使うことについては先月ふれたが、ペレットの生産を始めるには大口の需要を確保したい。そこで、バーナーの部分だけを換えるだけで石油ボイラーをペレットボイラーに変えることを提案している。バーナーを交換するだけでボイラー本体はそのまま使えるので、簡単で安上がりである。公共施設や企業で多くのボイラーが使われているから、ペレットボイラーで安定した需要を確保しながら、家庭でのペレット使用を増やしていこうという考えである。この提案が間違っていないことを、、文献やカタログでしか見ていないペレットバーナーの実物を見て確認したかった。

まず、SVEBIO(スウェーデンバイオエネルギー協会)にラゲルグレンさんを訪ねて、ペレット利用に関する最近の事情について話を聞いた。近年、石炭や石油のボイラーが多くペレットボイラーに変換されていて、昨年はペレットの需要が供給を上回り、価格の高騰が起きた。そこで、ペレット生産者協会と暖房ボイラー・バーナー協会とがペレットの需要予測のために協力を始めたという。ペレットの需要が多くなった背景には、エネルギー密度が高く、チップ使用と違って広いストックヤードが要らないだけでなく、タンク車で配達ができるようになり、今では石油と同じように扱いやすくなったことがある。スウェーデンでは、1992年に年5,000トンであったペレット生産量が、2001年には66.7万トンになり、さらに不足分15万トンを輸入している。ペレット使用家庭の戸数も現在の3万戸から3年で5万戸になると予測されている。フィンランドでも、石油使用の地域暖房会社が次々ペレット使用に移行している。

南スウェーデンのカルマルにある、ペレットバーナーのメーカーを訪ねた。バーナーを見るためである。ペレットのサイロと簡単なスクリューコンベヤーとコンパクトなバーナーがセットになっていて、ほとんどどんな石油ボイラーにも適用できるという。出力25キロワットと50キロワットのものが主力だが、大きな出力のものもできるという,これは日本でも使える。ペレット使用を中心に里山林の再生を考えることは間違っていないと確信して帰国した。

手を加えることで里山は甦るのか、自分たちで確かめようと、上石津町では「里山大学」を始めた。放置された草生の草を一度鎌で草を刈っただけで、センブリ,リンドウ、カキランが見事に甦った。里山再生の合意形成に向けても動き始めた。

(岐阜新聞2003年10月5日掲載)

(10) 木材から電気をつくる

多様にかつ合理的に里山林を利用する提案をしているのだが、北海道から沖縄まである里山林にあてはまる利用法といえば、利用されることなく眠っている膨大なエネルギー資源の利用を考えようという提案になる。そして里山林が利用されれば、結果として里山林が甦るのだというシナリオを提案をしているのである。

木材のエネルギーを利用する方法には、熱変換と液化などの化学的変換がある。化学的変換は化学工業の分野なので、ここでは熱変換について考えることにする。木材のエネルギーを使う前に、取り扱いや運搬をしやすくしたり、貯蔵場所を減らすなどの目的で、サイズを小さくしたり、圧縮したりする物理的変換を行う。ペレットはこの物理的変換の一つである。木材に熱を加えたときに十分な酸素があれば、木材は二酸化炭素と水になりエネルギーを放出する。これが燃焼である。ボイラーの燃料として木材を燃焼させ、スチームでタービンを回して発電をしたり、熱を製品の乾燥に使う2000キロワット程度の熱電併給システム(コジェネ)は製材所などで廃材を使って十年以上前から行われている。大規模なものは岐阜県では可児市にある名古屋パルプにある。現在、製紙の過程で出る黒液、樹皮などのバイオマスを使って必要な電気の約50%を生産しているが、近々85%をバイオマスで生産する計画が進んでいる,

これに対して、酸素を遮断して木材に熱を加えると熱分解が起きて、木材は一酸化炭素と水素と炭素になる。この過程でできる炭素が炭である。熱分解の他に不十分な酸素がある条件下で一酸化炭素と水素が発生する部分酸化、一酸化炭素、水素、メタンガスが発生するスチーム改質などの化学反応で木材がガス化される。木材から作られる可燃ガスである。木酢液は熱分解の過程でできる有機物の産物である。終戦後、薪で自動車が走っていたのはこのガスを使っていた。木材をガス化してエンジンを動かし発電機につなげば発電することができる。しかし、木材供給の制約もあって、小規模分散化システムになるが、消費地近くに設置できるので、大規模発電では捨てている熱を利用でき、エネルギー効率を飛躍的に向上させることができる。大規模発電では、エネルギー効率はほぼ40%であるが、バイオマス利用の小規模分散化システムの場合、発電効率は25%程度でも、熱を利用することによってエネルギー効率を80%程度にするのは難しくない。

これは、バイオマス利用の夢である。電力市場が自由化されれば、自由に価格設定してエコマーク付きの電力を売れるようになる。

(岐阜新聞2003年11月2日掲載)

(11) 伐って使って守る

今まで書けなかったいくつかの問題について、もふれておこう。

まず、段丘や丘陵であばれているモウソウチク林のことである。タケが建築材や造園資材として使われなくなり、タケノコも採らなくなったので、密度調節したり客土をする竹林の管理をやめてしまった。その結果、タケは地下茎をのばし周辺の林に侵入しだした。モウソウチクは1年で樹木の高さを超えるので、広葉樹の林は竹林に変わってしまう。暗い竹林に生活できる生き物は多くないので、竹林は実に単純な生物の社会である。その上、タケは何十年かに一度、一済開花して一斉に枯れる。タケの新しい用途を開拓して竹林の拡大を阻止することがのぞましい。破砕して利用する道が、今広がりつつある。

次は、里山の農業的自然のことである。放棄された田んぼの回復については、ナタネというエネルギー作物の栽培以外にはふれなかったが、里山の農業環境の回復にはいろんな知恵があるだろう。

控えめな合鴨農法でコメ作りをする白川町の田んぼの畦に、キキョウやオミナエシやリンドウを以前に見つけて感激した。畦の管理に除草剤を使う農業も自然を荒廃させた原因のつに違いない。

最後に、手を加えて里山の自然を回復させる、私たちの伐採調査の経験からわかり始めたことについて述べておこう。コナラ林を伐採した後、萌芽したアラカシの新芽にそれまで見かけなかったムラサキシジミが早速産卵にやってきた。また、県指定の保護区が設置されている希少種であるキリシマミドリシジミが、保護区外のアカガシの若い萌芽条に産卵した。伐採することによって生息域を拡大しているのだ。草刈り5ヶ月後の草生には、無数のセンブリの実生が甦り、見事に花をつけた。何よりうれしいのは、これを見た隣の草生の所有者も草を刈ってくれるようになってきた。昔の里山林の明るい林床で花を咲かせていたカタクリやニリンソウのような春植物も、里山林の利用が進めばもどってくるだろう。

ここで、簡単にまとめをしておこう。

萌芽更新する里山林は、まさに再生利用可能な資源であるから、この資源の利用を通して、新しい社会を展望できるはずだ。新しい社会とは、再生利用可能な資源を使ってゴミを出さない、持続可能な社会である。里山林のバイオマス利用も、ゴミを出さない自然エネルギー利用の一つである。バイオマス利用のためには、地域自立型の経済の仕組みも必要である。こういったことを、肩肘張らずに生き生きと毎日の生活の中で実現したいものである。里山林の問題も、このような生活の一環として取り組みたい。そのための合意形成が今求められている。

(岐阜新聞2003年12月7日掲載)