環境林業の提案

氏原 修 (高槻市森林組合)

従来の林業は木材林業ではなかっただろうか.それはそれなりに意義があり,この社会を支えて来たわけであるが,21世紀を直前に迎えた今,一歩進んで森林・林業を環境的な林業から役立てていく必要があるのではないかと考えている.環境林業というと,言葉では難しいが,環境に役立つ林業という形で定義付けてよいのではないだろうか.

今日,木材市場で国内材の占める割合は25%くらいであり,また一方,住宅材での木造率は大阪では27%くらいである.だんだん木材産業が片隅に追いやられているというのが実情である.私たちはなんとか林業を攻めの林業にしていかなくてはと考えている.そうしたなかから,やはり時代の要請に応じて都市近郊においては環境林業にシフトをしていく必要があるのではないかというふうに考えているわけである.

「里山の自然」(保育社刊)の中に少し書いたことであるが,もともと里山というものは,我々山村の側に必要だったわけである.炭を焼いたり,薪を作ったり,建築の材料を作ったり,極端なことをいえば,娘がお嫁に行くときに,その山の木を伐って,嫁入りの荷物を作ったりとか.しかし,時代が変わり,エネルギー革命やいろいろことがあって,里山の人達が,その里山を必要でなくなったということが大きな問題なのである.私はそのことを,山村から都市への逆転の要請ではないかと書かせていただいた.私は,この議論をきちっとしておかないと,里山は守れないのではないかと考えている.

必要とする人が里山を守っていくべきという私の発想からいくと,都市の人がこれから里山を守っていくべきではないかということになる.理想としては,従来通り炭や薪や木材を作って,林家の人が里山を守れればよいのだが,これには多くの資金と労力が必要で,それに対して見返りがないので,現実には非常に難しいといえる.それでは,国や地方公共団体が守ればよいか.里山がいくら減ったといえ,高槻では5000ha,大阪でも5万8000ha,近畿地方では,何十万何百万haになるだろう.そういった里山を守るということは,非常なお金がかかる.最近,市民参加ということで,市民が森作りに参加しているわけであるが,これでは大規模な森林を守るのには現実論としては非常に難しいものがある.

そういったことから,私はやはり,森林組合が,守っていかなくてはならないのではないかと考えている.そういった意味で,森林組合が足腰を強くして,時代の要請にこたえられるような森林組合に発展をしていく必要があるのではないか.今年の4月に,森林組合に関する法律の改正がなされて,森林組合がいろんな多角的な事業にまで参画ができるようになった.

それでは「環境林業」というのはどういうことであるのか,少し具体的に説明をさせていただきたい.私どもの森林組合では昭和50年代から森林レクリエーション事業に取り組んできた.具体的には,シイタケ園や,バーベキューセンター,温泉施設,遊歩道,木工クラフトをできる施設などといったレクリエーション施設を作ってきた.市民の方々に山に来ていただいて,自然を満喫して楽しんでいただける.その代償として支払ってもらったお金を林の維持管理に使う.林業をおこなうのに環境がこのように役に立つのだから,こういった観光林業も環境林業ではないかと考えている.

それから,従来の林業のなかでも,例えば保安林の中でする施業なんかも,環境林業ではないかと考えている.従来は良い木材を作るために,枝打ちや間伐,下刈りをしてきた.しかし,時代の要請とともに,例えば治山,治水とか,よい水とか緑とかよい空気とかいったものを作るために,例えば枝打ちをする.従来は木材産業では枝打ちといっていたが,最近では私どもは枝抜きといっている.それは,枝を抜いて林内に光を入れることによって,地表に新しい草が生えたり,新しい動植物が生まれたり育まれたりするという考え方からである.都市部,特に里山なんかでは,こういった施業自体も,木材林業的なやり方から,環境林業的な施業をやっていく必要があるのではないかというふうに考えている.

それからまた,私どもの森林組合では,緑化木の生産などもやっている.これは,都市の人達に緑と潤いを与えるためということであって,これも都市の人達に環境に役立つ産業と言うことがいえるのではないかと思う.これも環境林業の一環であると考えている.

新しい取組といたしましては,森林のリサイクル事業というのを,数年前からしている.これは,マツクイムシの被害木や間伐材などを堆肥とか土壌改良材などに加工して,もう一度土に還元をしていくという事業である.最近では,公園の剪定枝や街路樹の剪定枝なども破砕して堆肥に使っている.これも言い換えれば,最終的には土の改良とか,緑化の役に立つわけで,環境林業の一環ではないかと考えている.

炭も環境林業の一環ではないか考えている.炭というのは,もともと燃料のために使われてきたのであるが,最近は,水質浄化とか,除湿剤,臭いとり,土壌改良材とかに使えるようになった.まさに環境資材として,炭が変わってきたわけである.こういったものも,私はやはり環境林業に位置づけていいのではないかと考えている.

実は今,日本では炭は結構使われている.ところが,日本の炭が使われない.なぜかというと,レジャー用にかなり炭が使われてはいるのだが,その炭の大部分が東南アジアや中国から輸入された炭だからである.大体1kgあたり,100円から120円あたりで売られている.一方,日本の炭が大体400円から500円くらいかかる.我々が日本の炭を使ってくれと言っても,現実として消費者は4倍もする炭を買わないだろう.やはり我々,生産をする側からいっても,もっと日本の炭をコストダウンする必要があるのではないかということで考えたのが,ハイテク炭焼き工場である.大きな部屋をこしらえて,ボタンをひとつ押したら焼けるというような炭焼き工場を造る必要があると思う.これはそう難しいことでもないと思うが,まだ力がなくて,できるところまでいってない.

そういった中で辿り着いたのが,後で説明をしていただく「セラミック炭」という炭である.セラミックでコーティングをして焼いている炭で,燃やそうとすれば燃えるが,なかなか燃えない.従来どおりの炭焼きではなく,時代と共に形を変えていかないと,里山を救う手だてにはならないのではないか.

それから,シイタケの生産や,タケノコ,ナメコなど特用林産物の生産も環境林業に位置づけてよいのではないか.なぜならば,シイタケの生産でも,原木栽培なら,その原木を里山からとってくるわけだから,里山が従来のような形で守られるわけである.それだけ環境に役だっているわけなので,これも環境林業と言ってよいのではないか.

また,木力発電といったものも,持続的に継続的に資源として活用できる産業であり,環境林業としては非常に有望でないかと思う.10年とか15年おきに木を切っても里山というのは必ず蘇ります.これは,先人たちが何十年何百年と引き継がれてきた技術の中で証明されているのです.そういったことで,発電をする原材料としては,かなり有望ではないか.主要な電力源にはならなくても,3000人ぐらいの村を守るローカルエネルギーとしては非常に有望だと思っている.私はこの研究に非常な期待を寄せているのだが,日本の林業機関でこういう木質エネルギーを研究している機関がない.どこかでこういう研究をしていただきたいと考えている.

里山を守るひとつの手法として,環境林業というものをいろいろと提案をしてきたが,やはり市民の方が,里山をどんどん利用していただかなくてはならない.従来は,人が来ると荒されたりして困るという考え方があったが,山にどんどん人に来ていただき,山にお金を落としていただく,そういったものも環境林業に位置づけてもよいのではないかと私は思っている.里山というのはお金がかかる.維持していくには,誰かがそのお金を負担しなくてはならない.そこで,森林を守っている我々森林組合が,何らかの形でお金をもうけて,山の方へ還元をしていく方法を考えていきたい.