マツタケ山のつくりかた

吉村文彦 (マツタケ研究所)

はじめに

マツタケの性質とそのホスト

マツタケはカビの仲間であるが,生物遺体を分解する(自らに必要な養分にする)能力を遺伝的に欠いた菌根菌の仲間である.菌根菌は生きた植物(宿主あるいは寄主)の1mm未満の細根に感染し,光合成産物である糖類を宿主から摂取する.

逆に宿主は,菌根を介して土壌中のミネラル類を受け取ったり,土壌微生物の攻撃や乾燥から根を守られたりしている.宿主は日本においては,アカマツ,クロマツ,ハイマツ,エゾマツ,ツガやコメツガなどであるが,マツタケの生産量の多い宿主はアカマツであり,日本のマツタケはアカマツの存在抜きには考えにくい.

マツタケの発生と人の生活

花粉分析によると,日本にマツ属の花粉が急増した時期は,500年頃と考えられている(長野県野尻湖,大阪府羽曳野市[1]).奈良時代になると,マツタケは内陸の山の尾根筋に侵入してきたアカマツ林にも登場し,珍重されている様子が万葉集にうかがえる(高松のこの峰もせに笠立ててみち盛りたる秋の香のよさ.万葉集2233巻第十秋雑歌).平安時代になると,飛躍的に人口が増大したため,住居や道具のための材[5]や毎日の燃料や肥料などの需要も飛躍的に多くなった.そのために,平安京周辺の原生林が破壊されアカマツが都周辺にも登場し,マツタケも増えてきた(都まつたけ).平安〜室町時代には天皇や公家がマツタケ狩りを楽しみ,盛んに贈答しあっている(三条実房 愚昧記; 藤原定家 明月記; 近衛政家 後法興院日記).秀吉も相当マツタケ狩りが好きだったようである(翁草).江戸時代にも,まだ,"松茸や食ふにもおしい遣るもおしい"ものであり(与謝蕪村),また"下郎の口にはかなわない"しろもの(本朝文鑑)であった.時代が下って,昭和10-20 年代は,マツタケが「蹴飛ばすほど生えた」とかいわれたが,昭和16年(1941)の1万2222tの生産量を最高に,昭和35年(1960)頃からその生産量が減少し,最近はその1/60から1/100に激減している.

人がマツタケの発生を減らしている

マツタケ生産量激減の原因は,高度経済成長による私達の生活や農業や林業の大きな変化=近代化にある.昔,人は,材木や炭の材を得るために,また,毎日の煮焚き物用の薪や柴をあるいは緑肥を採取するために,森や林を活用したのである.これによって山を健全に維持し続けたといえる(里山林[2]).今は,山菜やきのこを採るためにだけ人は山に入る.言い換えれば,以前は山菜やきのこが生える山に山を育てておいて,それらを取りに出かけたのである.樹木の生長を助ける様々なキノコの発生量が減っているが,山を活用しなくなったせいである.最近の森林は疲弊し,公益的森林機能も不充分で多様な生物の生活を許さない場となっている.

マツタケの生理生態

胞子発芽-2次菌糸

マツタケは外生菌根菌で大型のキノコ(子実体)を形成するカビの仲間である.マツタケのヴェールが切れると,ヒダから胞子(レモン状,4-7 × 5-9 μm)が飛散し林床に落ちる.1本のマツタケ子実体から数百億の胞子が落ちるが,その発芽率は1%をかなり下回っている.厚い落葉や腐植層の上に落ちた胞子は,そこを住み家にする細菌や糸状菌や小動物との競争やそれらの攻撃にであう.その攻撃を逃れた胞子は温度と水分が適切なら発芽し1次(核)菌糸になる.互いに異性の1次菌糸どうしが運良く接合すると,1つの菌糸細胞に核が2つ存在する2次(核)菌糸ができる.ここにいたって,はじめてアカマツ細根に感染する力を持つ.

感染-菌根形成

この2次菌糸はさらに運が良いとアカマツの空き家の細根に出会う.すると,これに感染し菌套を形成.その後,細胞間隙に侵入,菌根となる.マツタケの場合は,外生菌根となる.菌根になるとホルモンを分泌し,アカマツの細根はテングス状に枝分かれし,根の吸収面積が飛躍的に増える.マツタケは周りに細い根があればそれにどんどん感染,菌根をつくる.活性の高い菌根は抗生効果のある物質を分泌し,アカマツの根やマツタケの菌糸を土壌微生物の攻撃から守っている[4].しかし,常に土壌生物との競争にさらされていることを忘れてはならない.

マツタケは菌根を介し,アカマツと物質をやり取りしている.マツタケは光合成産物である糖類をアカマツから摂取し,土壌中のミネラル類をアカマツに渡している.マツタケが生活を維持するためには,アカマツにはマツタケに与える糖分に余裕がなければならない.従って,西向きから南向きの斜面や尾根のアカマツ林は光合成量が多く,マツタケ栽培に適している.しかし,土壌が肥沃すぎると,アカマツは細根をつくらなくなり,また,光合成産物を自らの生長に利用しマツタケに与えないようである.一般的に肥沃な土壌では,樹木の菌根形成が悪いことがわかっている.

シロの誕生とマツタケの発生

マツタケは,更に周囲の細根に感染を続け,やがてホットケーキ状のシロを土壌内部につくる.シロとは,マツタケが宿主の細根に感染することによってつくりだされる菌根やその周りの土壌やそこに生活する微生物を含む集合体を意味し,それらの微妙なバランスのうえに成り立つ生態系である.物理的・化学的・生物的条件が適切に維持され続けると,シロはその容積がだんだん大きくなるが,シロの内部はくぼんでドーナツ状の形になる.2次(核)菌糸がアカマツの細根に感染し約 5 年たつと,シロの容積は,マツタケの菌糸とアカマツの根や土を含めて1.5-2リットルほどになる.すると,マツタケの子実体を1-2本発生するようになるが,微生物数の少ないマツタケ向きの痩地や乾燥気味の土壌は斜面や尾根の上部に多いため,マツタケはそのあたりから発生を始める.マツタケ発生の始まりはアカマツの樹齢が平均30年くらいである.東北地方では,それが40-50 年になるケースが多い.

アカマツ林の現況

全国的なアカマツの枯損

アカマツ林も放置されていて,アカマツは林の構成樹種との競争に喘いでいる.それに追い討ちを掛けるように,マツの材センチュウによるアカマツの枯損が特に西日本に目立つ.太平洋側では岩手県南部まで,日本海側では青森県南部までその害は及んでいる.現在の国産のマツタケ主産地は,中国地域であるが,近い将来,東北地域にその主産地が移る可能性が大であろう.しかし,九州北部や中国地域にアカマツ林の復活が見られるので,今後のアカマツ林の手入れが望まれるところである.京都府郡部もアカマツの枯損が激しかった地域だが,アカマツ林に手を入れることによって枯損をまぬかれた林がある[2].これは大きな教訓である.

森林と微生物

アカマツ林は遷移林(2次林)であり,人の手が入らず放置されると,その土地のクライマックス林にとって代わられる運命にある.岩泉町ではブナ林やミズナラ,コナラ林に必ず遷移して行くことを意味する.しかし,ミズナラやコナラ林においても,ホンシメジの発生量がマツタケ以上に減少しているが,このミズナラ・コナラ林も現在は放置されているためである.放置されたアカマツ林内は,落葉広葉樹の立木密度が増加してうす暗く,地表に落葉や腐植が堆積し,アカマツ林土壌は富栄養になる.ミミズが見られることもある.このようなアカマツ林土壌には,乾燥土壌とは異なる微生物が多くなり,微生物との競争に弱いマツタケは生活しなくなる.もちろん,他のキノコの発生も少なくなるし,発生する種が交代することも考えられる.また,腐植層が堆積し過ぎると,アカマツの細根が腐植層に伸長してくる.マツタケは褐色森林土壌内部(深さ30cmくらいまで)に生活するキノコであり,腐植層のなかでは生活できない.こうなると,夏期の乾燥時に腐植層は極端に乾燥し,アカマツは水分ストレスに耐え切れず枯死することがある.放置林はいわゆる森林機能も落ち,病気にも弱くなってくる.健全なアカマツ林構成樹種の葉面には,二酸化炭素よりも地球温暖化に影響のある一酸化炭素やメタンを資化=吸収する細菌 Methylobacterium が大量に生活している[3].富栄養化したアカマツ林土壌には,糸状菌,細菌,放線菌やそれらをエサとするセンチュウなどの微生物数がマツタケの発生するアカマツ林土壌のそれと比べると非常に多くなっている.このことは微生物との競争に弱いマツタケにとって致命的なことである.当然のことながら,そんな林には,マツタケの発生は見られないし,発生林にあっても生産量が減少する.

岩泉町のアカマツはもっと元気だった

東北地域にアカマツ林が広がるのは,江戸時代後半から明治に入ってからだそうである\[5].岩泉町は昔,たたら式製鉄(鉄1tをつくるために,木炭14t=薪50tが必要[5]),炭焼きあるいは牧畜が盛んだった.炭を焼くために莫大な樹木を切ったであろうし,牧草のための火入れで草地が増え,その後,草地がアカマツ林に遷移したと思われる.少なくとも昭和30 年代初めの頃まで,岩泉町のアカマツ林面積は今よりも大きく,生長量も森林機能もより大であったと想像される.現在,岩泉町の面積は約1000km2で,その94%を森林が占め,アカマツ林は天然アカマツ林(5000ha)と人工アカマツ林(1万3000ha)で構成され,岩泉町の森林の19%にあたる.多くの天然のアカマツ林は適当な手入れがなされてないため,アカマツ林として維持されにくい環境にあることを忘れてはいけない.林内には「雑木」のミズナラやコナラの立木密度が徐々に増え,林内は薄暗く,湿潤になり過ぎ,腐植層の堆積も多い.

参考文献

  1. 有岡利幸 (1994) 松と日本人. 人文書院.
  2. 田端英雄 (1997) 里山の自然. 保育社.
  3. 吉村文彦・小原弘之 (1994) アカマツ林における葉面細菌 Methylobacterium の生態. 生物環境調節 32: 95-105.
  4. Ohara, H. and M. Hamada. (1967) Disappearance of Bacteria from the Zone of Active Mycorrhizas in Tricholoma matsutake (S. Ito et Imai) Singer. Nature 213: 528--529.
  5. 井原俊一 (1997) 日本の美林. 岩波書店.
  6. 伊藤 武・岩瀬剛二 (1997) マツタケ. 農文協.
  7. 小川 眞 (1991) マツタケの生物学. 築地書館.