オガライト,オガ炭の製造から考える

倉持好通 (錦生燃料有限会社)

昭和24年に製材業を創業した.工場より発生するオガ屑の処理に困っていたところ,島根県の出雲横田でオガライトを作っている工場があると聞き,早速視察に行った.自分でもオガライトおよびオガ炭の製造を始めたが,最初はオガライトがなかなか良い製品にならず一苦労した.何とかできるようになって,次にオガ炭に取り組んだ.ところが,最初の窯では1年間操業したものの,歩留りが非常に悪く,収支ゼロで企業として成立しないものであった.次に横窯を作り約2年間かけて現在の炭ができるようになった.その後次々と炭化窯の改良を考え,現在の炭化窯が5回目のものであるが,非常に楽に作業ができるので今日まで存続している.

オガ炭製造のプロセス

最初の窯は,直径1m50cmくらいで高さが1m80cmくらいの鉄製の縦型のものだった.その窯でできた炭は堅い良いものであったが,歩留りが非常に悪く炭材 (オガライト) 重量の25%で,利益はほとんどでなかった.次に,鉄製の横窯を作ったが,こんどは炭材のオガライトが元のオガ屑になってしまった.口焚きするときに上部に点火すると,下部のオガライトに結露してオガライトがふやけて元のオガ屑になってしまうのが原因だった.これの解決に約2年間かかった.

毎日のように炭化窯のところに腰掛けて,今日はどうか今日はどうかといろいろなことを考えながら夜を明かして,約2年くらいたった頃のことである.窯の横に3ケ所ずつ最後精錬をかけるときの空気導入の穴をあけていたのであるが,その穴から煙を出すようにして窯の下部の方を温めることをやってみた.その窯で焼き上げたところ,下部のオガライトが結露せず,上から下まできれいなオガ炭が焼き上がった.そのときの嬉しかったことを今でも思い出す.

これでオガライトの炭化に自信がついたので,その後窯を次々と改良し,現在の窯は5回目のものとなった.現在の方法では,トロッコを作りその上にオガライトをのせ,トロッコごと窯に入れて炭化するというふうになっている.焼き上がると精錬のため窯の扉の下に穴をあけて空気を入れ,最後に1200℃くらいに温度を上げて約4時間くらいガス抜き精錬をかけてから砂をかけて消化する.次にトロッコに積んだ炭材を,扉をあけて冷却している窯に押し込んで炭化を始める.その窯は口焚きすることなく窯自体の温度で着火するので効率が大変よい.月に5〜6回転する.現在42基の炭化窯があり,1窯で600kgのオガ炭ができる.注文が多くなると窯の回転を挙げて月産約25tくらいの生産をしている.

最後に1200℃くらいの温度まで上げて精錬をかけるので本格的な白になり,多用途に使用できることを付け加えておく.

オガ炭の将来展望と里山との関わりについて

炭を日本人ほどたくさん使用する国はないと思われる.日本人から炭をとることはできないのではないか.

戦後の日本は,電気・石油・ガスへと燃料形態が変わり,木炭は日本にはあまり必要としないということになりました.各県とも山はスギやマツを植林しなければと,和歌山県などでもウバメガシを切って植林をした.その後グルメの時代がやってきたのに,そのときにはウバメガシ林がなくなって原木不足になり,和歌山県産備長炭は生産が少なく市場の注文には答えきれない.中国に木炭を求めて生産指導して日本へ輸入している.オガ炭についても,中国・インドネシア・マレーシア・フィリピンと各方面から相当量輸入されており,輸入物は価格が非常に安いので消費者はこれに注目しています.が,練しのかかっていない黒炭状であり,一酸化炭素の発生で炎が良く目立つので,業務用としてはあまり動いていないと思うが,価の安いということで我々の強敵である.しかしながら,国内ではオガ炭の良さも認められて,今日現在ではオガ炭の市場は確保されているようにも思う.これから将来に向けては十分精錬をかけ白炭を製造して多用途に使用できるようにしなければと思う.

本日お集りの皆様方は既にご承知のこととは思うが,全国どこへいってみても里山は全く管理されていない.鳥取県でも全く管理されていない.炭焼きをする方のなくなった現在ですが,今一度里山を利用したいものである.現在は山仕事をする人夫さんが皆無で,里山の雑木どころか植林されたスギやマツですら山に入ってくれる人がない.こうした里山管理は国で考えてもらえないかともいいたいのだが,これもかなわぬとすれば都道府県市町村で里山管理をすすめる運動を一度考えたいと思っている.